【市子】「離婚後300日問題」により「いないこと」にされた子ども。川辺市子の生涯を外側から描いた物語

語る相手によって、市子の人物像は微妙に変化する。これは、市子に限らず誰にでも言えることであろう。Bから見たAと、Cから見たA。この二つが完全に重なることはない。誰しも、自分の中にある“主観”のフィルターを通して相手を見ている。

市子の部屋には、ポータブルトイレがあった。市子は、周りの生徒に比べて身体の発育が早かった。高校時代の市子は、ある時期を境に恋人とのセックスに抵抗を示すようになった。市子は、どんなに体調が悪くても決して病院に行かなかった。一見チグハグに感じるこれらの情報すべてが、「離婚後300日問題」と深くつながっている。

「無戸籍」の子どもには、就学通知書が届かない。保険証も取得できない。戸籍がない以上、住民票の取得も不可能である。そこにたしかに「いる」のに、「いない」ことにされる。そんな状況で、まともな生活を送ることは難しい。

子どもはやがて、大人になる。社会は大人に自立を求める。では、「戸籍のない人間」を雇ってくれるクリーンな企業が、この国にはいくつあるだろう。

ここで、映画冒頭に立ち戻ってほしい。「戸籍のない人間」が「法的に婚姻する」ことは、果たして可能だろうか。

市子が恋人からのプロポーズ翌日に姿を消した理由は、「戸籍がない」ことだけに限らない。本作で描かれる社会課題は、「離婚後300日問題」にとどまらず広範囲に及ぶ。ヤングケアラー問題、性暴力、貧困。ただ、これらの根本には「戸籍」という書類上の壁の問題がある。もしも市子が、生涯を通して「川辺市子」として生きることができたなら、逃れられた困難は数多くあったはずだ。

市子が抱える問題は、決して特異な例ではない。「離婚後300日問題」もしくは「無戸籍児問題」が理由で生活に困難を抱える親子は、世間が想像するよりはるかに多い(*2)。

無戸籍の人間に限らず、マイノリティの多くは、往々にして「困難を隠して」生きている。何らかのハンディをありのままに伝えたところで、その弊害を理解し、適切な援助をしようと努めてくれる人は少ない。“生育環境”は自分では選べず、望まぬ形で苦労を押し付けられた子どもは大勢いる。にも関わらず、生育環境を理由に受ける不当な差別は後を絶たない。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。