【デューン 砂の惑星PART2】シャラメ演じる“孤独なヒーロー”

osanai デューン 砂の惑星 PART2

ハルコンネン軍と皇帝の親衛軍サーダカーの猛攻によって崩壊したアトレイデス家。砂漠に逃れたポールは、フレメンのリーダーであるスティルガーと共に、反攻の機会を見極めていくのだが──。
原作はフランク・ハーバートのSF小説『デューン 砂の惑星』。前作に続き、「メッセージ」「ブレードランナー 2049」のドゥニ・ヴィルヌーヴが監督を、ティモシー・シャラメが主演を務めている。

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「明日の朝、目が覚めたらシャラメになっていますように」
彼を知ってからずっと、今も真剣にそう願っている。

5年前の春の日、ルカ・グァダニーノ監督作品「君の名前で僕を呼んで」鑑賞後、願いを込めてTwitterでつぶやき、インスタのストーリーズに載せ、LINEのステータスメッセージを「シャラメの遠縁」に設定した。真剣だったのに友人たちからは持ちネタとして捉えられ、今も「今朝はシャラメになれてた?」といじられている。誠に遺憾である。

それほどまでにティモシー・シャラメという少年は、ぼくの心を激しく揺さぶった。スクリーンの中のシャラメは、ちょっと指先で突ついたら消えてしまいそうなほど儚く、美しかった。なにこれ、実在の人物? 本物の役者? 作画は萩尾望都か竹宮惠子か山岸涼子ですか? 劇場でパンフレットを購入し、帰宅して確認すると、本当に生きている生身の人間だと知ってぶっ倒れそうになった。

生まれたときに女児へ割り振られ、現在も戸籍上“女性”として生きているノンバイナリーのぼくの「なりたい姿」は、いわゆる「24年組」と呼ばれる女性漫画家が描く耽美かつ退廃的な雰囲気を纏う“少年”たちだった。常に死のにおいを漂わせる“少年”たちこそが、ぼくの絶対的憧憬の対象だった。彼らほどなりたいと思う人間など、現実にいるわけがない。長らくそう信じて疑わなかった。シャラメを目撃するまでは。

「君僕」後のシャラメは、多彩な演技で瞬く間にハリウッドの人気をかっさらった。彼は近年の映画メディアでしばしば「久々に現れた王道の若手スター」と評される。でも自称「シャラメの遠縁」として言わせていただきたいのだが、シャラメはこれまでの映画スターのだれとも異なる。決定的な違いは、マッチョでないところだ。
シックスパックの腹筋だとか、広い肩幅だとか、そういうものを一切持たない。前時代的男性性を削ぎ落としたようなルックス。それでいて“王子様”という形容詞も、なんだかしっくりこない。王子様にしては、瞳の奥があまりに昏い。シャラメの内包する昏さこそが、シャラメを唯一無二の存在たらしめているのだ。

シャラメには孤独がよく似合う。これまで数々の孤独を抱えるマイノリティを演じてきた彼が「DUNE/デューン 砂の惑星」シリーズで演じるのは、なんとヒーローである。PART1の公開情報がリリースされた際、「ええ、まじかよ」と正直思ってしまった。そんなザ・ハリウッドみたいな役柄、シャラメに求めてないんだけど。ヒーロー役だったら他にもいっぱい若手いるじゃん。それにヒーローものって、そのイメージが役者に定着しちゃうから好きじゃないんだよなあ。今後シャラメが「DUNEのヒーローのひと」って認知されるの、ちょっと嫌すぎる。不満たらたらで劇場に足を運んだのだが、帰り道ぼくは猛省することとなる。

ヒーローはヒーローでも、威風堂々たるかっこいいヒーローじゃなかった。シャラメが演じたのは、望んでいないのに──むしろその運命を拒絶しているのに、ヒーローに祭り上げられ、その重責に苦悩する“孤独なヒーロー”だった。

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S H A R E
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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。