【正欲】マイノリティな人々、ではなく、たった一人のあなた

痛みを知っていても、傷つけてしまうことがある

感じることは自由だが、集団で生きていくために互いを傷つけないように配慮することは大切だろう。人は一人では生きていけないし、社会というものがなくなることはない。

たとえば、どんな人、どんなものに性欲を感じても自由だが、自分の欲望を満たすために身勝手に誰かを傷つけることは決して許されない。

また、自分とは大きく異なる指向をもつ人に対して驚くこともあるだろうし、それ自体は他者が止められるものではない。しかし、その感情を無遠慮に表出して相手を傷つけることはよくない。

自分とは異なる部分をもつ人に対し、簡単に同調するのも慎重になったほうがいい。人の数だけ感情や感覚があるのだ。簡単にわかるはずがない。安易な「わかる」は、相手を傷つけることもある。

「なんで自分はあくまで理解する側だと思ってるんだよ。あんたが想像もできないような人間は、この世にはたくさんいるんだよ」

大也が、同級生の八重子に対して放ったセリフだ。八重子自身も自分の性的な指向性に悩んでいる。それにも関わらず、一人で孤独を抱える大也を心配し、勇気をもって歩み寄ろうとしたが、大也を傷つけてしまう。

映画「正欲」の登場人物たちは、傷つけられることも、傷つけることもある。自分を律せず傷つけてしまうこともあれば、互いの感じかたの違いから思いがけず傷つけてしまうこともある。傷つけられるつらさを知っていても、誰かを傷つけてしまうことがあるのだ。

本作は、社会だけでなく、一人ひとりの人物も多角的な視点で映し出される。それぞれの人について、社会に潜む問題について、鑑賞者に安易な理解や共感を許さない。けれども、それは決して過度な厳しさや冷酷さではなくて、ある種のやさしさのように感じた。まるで作品が私に「わからなくて当たり前だ、完璧にできないことだってある。だからこそ一緒に考え続けよう」と言ってくれているみたいだった。

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S H A R E
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東京在住。コピーライター。好きな映画は「ファミリー・ゲーム/双子の天使」「魔女の宅急便」。