【正欲】マイノリティな人々、ではなく、たった一人のあなた

ふつうも、ふつうじゃない、もない

映画「正欲」は、家庭環境、性的指向、容姿、さまざまに異なる背景をもつ人々の話が、オムニバスのように展開していく。他者について多角的に考えてみたいと思っていた私にとって、オムニバスという手法は本作の魅力のひとつだった。

ある人物に自分を重ねて感情移入していたと思ったら、今度は真逆の性質をもつように見える人物にも自分と共通する部分を見つけてしまう。複数の視点での映像を経て、社会に潜む問題が少しずつ浮き彫りになっていくようだった。

作中で特に重きを置いて描かれるのは、それぞれの性欲について。

ショッピングモールで働く夏月。夏月の同級生の佳道。大学のダンスサークルに所属する大也。彼らは、多くの人とは異なる対象に性的な欲望を感じる。そんな自分を「ふつうじゃない」と思い、その後ろめたさから周囲と距離を置き、孤独を抱えている。

「ふつうは〜でしょ」「社会のバグ」「ありえない」 作中では、彼らの後ろめたさをえぐるような言葉がたびたび飛び交う。そのたび彼らは自分が「ふつうじゃない」「マイノリティである」ことを感じ、生きづらいという思いを加速させていく。社会とは人が集団で生きるためにつくられた人工的なフレームだ。なんとなく大多数の意見が「ふつう」とされがちなのは、ひとつの基準があるほうが社会というフレームを運営するのに都合がいいから。

けれども実際は、人は一人ひとりみんな違う。ふつうか、ふつうじゃないか、マジョリティか、マイノリティか。そんな短絡的な二元論では語れないはずだ。夏月も佳道も大也も、「マイノリティな人々」ではなく「たった一人のあなた」なのだ。

「たった一人のあなた」である夏月、佳道、大也の性的指向は、決して「ふつうじゃない」とは思えない。欲望、特に性的欲望は生理的なもの。それ自体は、コントロールできない。人を傷つけない限り、感じること自体は自由だ。「あってはいけない感情なんてこの世にはない」というのも、作中で印象的なセリフのひとつだった。

一方、現代社会における「ふつう」に対するアンチテーゼかのように描かれるのが、検事の啓喜。彼は、登校拒否になりYouTube配信を始めた息子を応援することができない。ふつうは学校に行くものだ、と思っているから。決して悪気があるのではなく、むしろ、やさしさや正義感から息子を「ふつう」に押し込めようとする姿にぞっとした。

しかし、現実世界でもよくある状況ではないだろうか。ともすると、私自身も身勝手な思いや想像力の欠如から、相手を傷つけてしまったことがあるように思う。啓喜に自分が重なっていく。スクリーンと向き合ううちに鼓動がどんどん強く速くなり、呼吸が浅くなっていくのを感じた。

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S H A R E
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東京在住。コピーライター。好きな映画は「ファミリー・ゲーム/双子の天使」「魔女の宅急便」。