【シャドー・ゲーム〜生死をかけた挑戦〜】“他国の戦争・紛争に無関心である世界”が、少年たちに命がけのゲームを強いている

osanai シャドー・ゲーム

紛争で荒廃した国を逃れた10代の若者たち。身の安全が保証される国を求めて、中東やヨーロッパの国境を越えようと奮闘する姿を撮影したドキュメンタリー。
監督はエーフィエ・ブランケフォールトとエルス・ファン・ドリール。本作は3年にわたって撮影され、第18回難民映画祭2023にてオンライン上映された。

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明日、家に爆弾が落ちるかもしれない。
食料の買い出しの途中、銃で撃たれるかもしれない。

そういう不安を抱えながら日常を送った経験がない。「戦争体験がない」ことは、本来であれば喜ばしいことだ。しかし、その恵まれた環境ゆえ、渦中にある人の困難さを想像する力が乏しい自分を深く恥じている。現実はいつだって、想像のはるか斜め上をいく。

中東やアフリカでは、現在進行系で内戦や紛争が続いている。そのため、母国を逃れ、新たな新天地を求めて国境越えを目指す10代の若者たちが後を絶たない。彼らの旅路に密着したドキュメンタリー「シャドー・ゲーム~生死をかけた挑戦〜」では、国境越えの険しさと共に、彼らの不遇な状況と切実な叫びが描かれている。

母国が安全ではないから、他国に逃れたい。そう願うのは当たり前であるはずなのに、その権利を誰もが持ち得るわけではない。受け入れ国に庇護申請を出し、「難民」として認定されなければ、他国での定住は認められない。認定が下りない者たちに残された手段は、「不法入国」のみ。高圧電線や警察犬、国境警備隊など、数々の“難所”を越えて無事に新天地に辿りつける者は、ごく一部である。

作中の若者たちは、口を揃えて言う。「勉強がしたい」「将来の目標を叶えたい」と。安心して眠れる、学習できる、将来の夢を描ける。誰もが生まれながらにして持つ“基本的人権”を保てる環境を求めて、命をかける10代の若者たちがいる。「若者」という表現を使うことさえ躊躇うほどに、彼らの年齢は幼い。むしろ「子ども」と呼ぶほうがよほどしっくりくる。死と隣り合わせの危険な国境超えを、彼らは痛烈な皮肉を込めて「ゲーム」と呼ぶ。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。