【釜石ラーメン物語】“納得できない”痛みを抱えながらも、母の味を守り継ごうと奮闘する姉妹の物語

まさか、ここまで津波が来ることはないだろう。

誰もがそう思っていた高さまで、津波は容赦なく押し寄せた。正恵は、本来であればこの時間、家にいるはずだった。小川町は津波の被害がなかったため、家にいれば正恵は死なずに済んだ可能性が高い。正恵が市役所に行く時間が遅くなった原因は、正実がトラブルを起こし、学校から呼び出しを受けたからだった。自分のせいで、母親が死んだ。正実はずっと、人知れずそんな自責の念を抱え続けていた。

正恵の遺体は、見つからなかった。東日本大震災では、10年以上経った今でも遺体が見つからない「行方不明者」が2,523人にも上る。(2023年3月時点)

そのため、遺体が見つからぬまま墓だけを建てるしかない遺族が大勢いた。だが、正実はその現実をどうしても受け入れられなかった。「自分は遺体を見るまで納得しない。お母ちゃんはどこかで生きている」と言い張り、墓を建てると決めた父と仲良との諍いが続き、衝動的に家を飛び出した。そして、父の急病の知らせを聞き、再び釜石に舞い戻ってきたのである。

口調がきつい上、思ったことをすぐ口にする正実は、誤解を招きやすいタイプだ。しかし、情に厚く、「家族を守りたい」想いが人一倍強い人柄は、多くの人を惹きつけた。正実が帰ってきたことで、地元の人々は「昔の小川食堂」の味が食べられることを期待する。だが、その裏側では、それまで必死に店を切り盛りしていた仲良の葛藤があった。姉が不在だった3年間、店を守ってきたのは妹の仲良だ。自身の「声優になりたい」という夢を諦め、店の存続のためにすべての時間を注いできた仲良にとって、ひょっこり帰ってきた姉が周囲に期待される様を見るのは堪えるものがあったろう。

1 2 3 4
S H A R E
  • URLをコピーしました!

text by

エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。