【釜石ラーメン物語】“納得できない”痛みを抱えながらも、母の味を守り継ごうと奮闘する姉妹の物語

あの震災さえなければ、母親の正恵はまだ生きていて、正実に店の味を伝授できたかもしれない。仲良は自分の夢である声優を目指すため、盛岡の学校に進学できたかもしれない。剛志は一人であれこれ抱え込む必要がなく、過労で倒れることもなかったかもしれない。

震災が奪ったものは、人命や美しい景色、思い出の詰まった建築物だけではない。あの災害は、残された者たちの未来をも容赦なく塗り替えた。遺族のほとんどが、何度も悔やんだだろう。「あの時こうしていれば」「あの日あの場所に行かせなければ」と。自責の念を抱えながらも、残された人々は生きていかねばならない。だが、誰もがすぐに前を向けるわけではなく、痛ましい現実に押し潰されてしまう者もいる。

海に花を放りながら剛志が呟いた一言が、遺族の気持ちを代弁しているように思えた。

「誰も納得なんかしてねぇ」

そう。誰も、納得なんかしていない。できるわけがないのだ。

突然家族を奪われ、家を奪われ、友を奪われ、思い出の地を土砂で埋められ、何がなんだかわからないまま、心の傷も癒えないままに「復興」を掲げる空気へと押し流される。あの当時、誰もが必死だった。生きること。生活をすること。それだけで精一杯の日々の中で、小川食堂は灯りのような存在だったという。

小川町も震災によって、古い建築物は損壊し、老舗の地酒屋は商品の酒瓶が大量に破損するなどの甚大な被害が出た。一方で津波の被害は免れたこともあって、被災地でありながら、地域の店舗や旅館が人々の寄り合い所となるべく奮闘した。

「麺は細いが絆は太い。人情、根性、釜石ラーメン」

作中で登場する店のキャッチコピーが、震災後に釜石で立ち上げられた「復興の狼煙ポスタープロジェクト(ポスター購入代金が義援金となる)」の一文を想起させた。

「被災地じゃねぇ 正念場だ」

納得できない現実があろうとも、まずは自分にできることをする。そうやって、1日1日を積み重ねていった先に被災地の「今」がある。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。