【CLOSE/クロース】“同性”の彼女に、躊躇いなく「好き」と言える世界であったなら

osanai CLOSE/クロース

いつも一緒に過ごす大親友のレオとレミ。しかし中学校に入学した初日、あまりに仲が良い様子をクラスメイトにからかわれてしまう。次第にレオは、レミへの接し方が変わり、ある日些細なことで大喧嘩してしまう。主演は本作が俳優デビューとなるエデン・ダンブリンとグスタフ・ドゥ・ワエル。前作「Girl/ガール』で長編作品デビューとなったルーカス・ドンが監督を務めた。

※映画「CLOSE/クロース」及びこの文章内では、ホモフォビアと近しいひとの自死を扱っています。フラッシュバック等の恐れがあるので、ご自身の心と相談しながら注意して読み進めてください。

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18歳のときに恋をしたのは、ひとつ年上の女の子だった。たった1才、それだけの違いが、あのころ彼女をとうてい手の届かない大人に見せていた。

当時ぼくは浪人中で、彼女は2年目だった。彼女──Mは、これまで出逢ったどんな女の子とも違っていた。聡明で、繊細で、美しく、素敵で、だれよりもとくべつな女の子だったのだ。Mが気にしていたふくよかな体型さえ、彼女の美しさを際立たせていた。だから今でもぼくは、彼女によく似た芸能人がTVに映ると、無言でチャンネルを変えてしまう。

18歳について考えるとき、いつもMがふざけて腕を絡めてきた体温を思い出す。Mのやわらかなふくらみが二の腕に当たるとぼくはいつも耳まで真っ赤にしてしまい、彼女は毎度それを揶揄った。ちーちゃんのヘンタイ、なに考えてんの。そう囀るように彼女は笑うのだ。「うるせーな、自意識過剰だよ」と返しながら、いつだって内心では冷や汗をかいていた。

Mの揶揄が自意識過剰でもなんでもなく、本当だと知られてしまったら。──周囲に「ふたりはいっつも一緒だし、セットだよね」と評されるこの関係性が、破綻してしまう。それはあのころのぼくがもっとも怖れていたことのひとつだった。

映画「CLOSE/クロース」を観ながら、そんな痛痒さをまざまざと思い出していた。“同性”であるがゆえに、「好き」と告げられないこと。「女の子同士のセット」を隠れ蓑にして、彼女と体をくっつけ合う権利を不正に獲得していたこと。裏で手を回して、Mの好きな男の子を彼女から遠ざけていたこと。苦い記憶ほど、脳内にこびりついて消えない。珈琲を淹れたマグカップの茶色いシミみたいに、頑固に残り続ける。

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S H A R E
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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。