【釜石ラーメン物語】“納得できない”痛みを抱えながらも、母の味を守り継ごうと奮闘する姉妹の物語

osanai 釜石ラーメン物語

釜石でラーメン屋「小川食堂」に、3年前から音信不通だった正実が戻ってきた。しかし早々に、店を切り盛りしてきた父と妹に店を閉じるように促すのだが──。
監督・脚本を手掛けたのは、「ライカ」「恋恋豆花」の今関あきよし。主人公の正実を井桁弘恵が演じた。撮影は、東日本大震災から復興10年目の釜石で行なわれている。

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私の出身地は、東北の港町である。2011年3月11日、東日本大震災が起きた当時、私は元夫と長男と共に関東で暮らしていた。見慣れた景色が濁流に飲まれていく映像を見ながら、床に座り込んで放心したあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。テレビから流れてくる映像は、どこか現実味がなかった。おそらく、脳が“現実”と認めることを拒絶していたのだろう。

「被災地」として繰り返しニュースで報道される地名は、馴染みの深い場所が多かった。親戚が住まう釜石市も、その中の一つだ。だから、「釜石ラーメン物語」という映画の存在を知った時、迷いなく観に行くことを決めた。

物語の舞台は、釜石市小川町にある昔ながらのラーメン店「小川食堂」。シンプルな店構えと周辺の街並みが、ノスタルジーを感じさせる。店を切り盛りするのは、父親の剛志と次女の仲良。そこに3年も音信不通だった長女の正実が帰省し、突然「店を閉めろ」と言い出す。正実の身勝手な言動に激怒し、姉妹は激しく衝突するが、正実が閉店を切り出したのにはある理由があった。正実が突然帰ってきたのは、父が救急車で運ばれた知らせを受けたからだった。原因は過労だったのだが、“父に万が一のことがあったら”と心配する気持ちが先走り、正実の突拍子もない行動につながっている。

もう一つ、正実が「店を閉めた方がいい」と言い張る理由があった。それは、「お母ちゃんの味を出せない『小川食堂』は意味がない」──もっと言えば、「お母ちゃんのいない店を見るのが辛い」という気持ちからだった。小川食堂は、もともと正実の母である正恵が切り盛りしていた店だった。正実は子どもの頃から、そんな母の姿を見て育った。文句を言いながらも母の仕事を手伝う正実を、地域の人々は温かく見守っていた。店はいずれ正実が継ぐもの。家族も、店の常連さんも、みんなそう思っていた。でも、あの日、すべてが変わってしまった。正恵は、市役所に出かけた先で津波に飲まれた。

釜石の中心部は、海沿いの浜通りに集中していた。市役所も、総合病院も、アーケードのある商店街も。震災時刻が日中帯だったこともあり、被害は甚大だった。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。