【CLOSE/クロース】“同性”の彼女に、躊躇いなく「好き」と言える世界であったなら

レオがレミを突き放さざるを得なかったのは、そこまでレオを追い込んだのは、異性愛規範であり、ホモフォビアであり、クィアへのヘイトだ。「ふつう」だとか「あるべき姿」だとかからちょっとでも外れた人間を、この世界は殺戮する。それはそれはおそろしいほどナチュラルに。

“男性に見えるひと”には「彼女いるの?」「おまえ、もしかして童貞?」「女みたいにナヨナヨすんな」。“女性に見えるひと”には「体重が40kg以上あったら女じゃない」「25歳を越えたらオバサン」「男よりでしゃばるな」。“男女二元論に当てはまらないひと”には「みんなとは違う“個性的な自分”をアピールしたいだけ」「ただの厨二病」「理解できない」。こんな言葉たちがごく自然に、悪意なく口をつくひとたち。それがこの世界のマジョリティだ。彼ら/彼女らに、レオも、レミも、ぼくたちも、首を絞められ続けている/いた。

もしもマイノリティをそんな言葉で蹂躙する世界でなかったなら。もしもすべての愛を当たり前に尊重する社会であったなら。ぼくたちを迫害も排斥もしない人びとで溢れていたのなら。きっとレオとレミは、今も隣同士で笑っていただろう。

そうだったら18歳のぼくもまた、Mに「好き」と言えていたのかもしれない。女の子同士の“セット”を隠れ蓑にすることなく。

彼女への告げられぬ恋心を拗らせた結果、卑怯な手口でMが恋する男の子を遠ざけ、欲望のままに依存心を加速させた。その結果、当たり前だがMから絶縁されてしまった。さながらレオを喪失したレミのように。いや、レミはぼくのように卑劣ではないけれど。

ぼくの犯した罪悪のすべてを、異性愛規範とホモフォビアになすりつけるつもりはない。ただクィアを迫害する“空気”がここまで濃厚でなければ、もしかしたらぼくはMとの関係を粉々に破壊せずに済んだのかもしれないと、どうしても思ってしまうのだ。あれから10年以上経った今も。

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■CLOSE/クロース(原題:Close)
監督:ルーカス・ドン
脚本:ルーカス・ドン、アンジェロ・タイセンス
撮影監督:フランク・ヴァン・デン・エーデン
編集:アラン・デソヴァージュ
音楽:ヴァランタン・アジャジ
出演:エデン・ダンブリン、グスタフ・ドゥ・ワエル、エミリー・ドゥケンヌ、レア・ドリュッケール、イゴール・ファン・デッセル、ケヴィン・ヤンセンスほか
配給:クロックワークス、STAR CHANNEL MOVIES

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。