【長崎の郵便配達】過去の過ちを省みず、加害の歴史に蓋をして、被害者の声を踏みにじる行為は冒涜にほかならない

谷口さんの背中には、大きな傷痕がある。言わずもがな、原爆の衝撃で負った傷だ。本作には、被爆直後の谷口さんが治療を受けている最中の写真や動画が繰り返し流される。

べろりと皮膚が剥けた背中の表面は、真っ赤に腫れ上がった肉が露わになっている。あまりにも痛々しい光景に思わず目を背けたくなるが、それは許されないと思った。被害当時、谷口さんは16歳という若さであった。日本でいえば、高校1年生である。そんな子どもが、酷い現実を体中に刻まれた。それなのに、大人がその事実から目をそらしていいはずがない。

谷口さんが傷を負ったのは、背中だけではなかった。背中の損傷が酷く、1年9ヶ月もの間うつぶせの状態で闘病生活を続けた結果、胸までもが床ずれで腐った。肋骨の間から心臓の動きが見えるほどに、胸の筋肉がえぐり取られた。谷口さんが88歳まで生きられたことは、もはや奇跡といっても過言ではない。

長崎に原爆が投下される直前、谷口さんは子どもたちに手を振っていた。

「郵便屋さん、さようなら。また明日ね」

そう言って笑う子どもたちは、“明日”がくることを無邪気に信じていた。だが、彼らに明日はこなかった。

“秋風に散る木の葉のような白いものを黒煙の中に彼は見た。それは落ちて地面を滑るとやがて止まり動かなくなった。さっきスミテルに手を振った子どもたちだった”

『The Postman of Nagasaki』の一節である。ついさっきまで元気に笑っていた子どもが、「また明日」と言った子どもが、木の葉のように白く染まり、黒煙の中を巻き上げられ、地面に叩きつけられる。子どもたちはおそらく、原型さえもとどめない様相であったろう。広島でも、長崎でも、そういう光景を大勢が目の当たりにした。大勢が大切な人を失い、大勢が命を落とした。建物は破壊され、木々は燃え、運良く生き残った人々の上に放射能の雨が降る。「黒い雨」と呼ばれるそれは、人体の組織を内部から破壊した。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。