【夜明けまでバス停で】コロナ禍以降、世間に吹き荒れる「自己責任論」の行方。想像力の欠如がもたらす凶行が奪うもの

本作では貧困のみならず、国籍による差別、職場に横行するセクハラやパワハラなど、多くの社会課題が如実に描かれている。

強い立場の人間が振るう傲慢な態度と発言は、本人が意図する以上の暴力性を持ってして多くの人を傷つける。社内における立場、経済格差、持って生まれた体格差など、優位に立つ条件を持ち合わせた側の者は、その事実を肝に銘じるべきであろう。

働きたくても働けない理由は、人それぞれだ。働き口が見つからない、長期療養を必要とする心身の不調、悪環境による足枷……数えあげればキリがない。ただ、それらの理由を「理解する気がない」人間は一定数存在する。そのことを、心から悲しく思う。

いかなる場合においても、「生産性」を理由に人が人を選別するなどあってはならないことだ。もっと根本的な話をするなら、人の命の重さを選別する権利など、誰にもない。

その人が歩んできた道のりは、本人にしか知り得ない。それを他者が「正」だの「否」だのとジャッジする愚かさに、人はいつになったら気がつくのだろう。夜明けまでバス停のベンチで眠るよりほかない三知子は、決して「いなくて良い人間」なんかじゃない。この世界に、「いなくて良い人間」なんて一人もいない。

極端で過激な言論が持て囃される現代に、本作は一石を投じている。強く断定的な物言いで持論を展開するのは、さぞ気持ちいいことだろう。だが、その先で起こり得るさまざまな分断や失われるものの重さを、今一度考える局面にきているのではないだろうか。

三知子のような人が、躊躇わずに「助けてください」と言える社会。それこそが、正しい世の在り方であるはずだ。三知子が焼き鳥屋の店長に送ろうとして消去したメール。あの文面を「送っても無駄だ」と思わせない社会にするためにも、私たちが握りしめるべきは固いレンガではなく、助けを求めて彷徨う人の手のひらであると私は思う。

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■夜明けまでバス停で
監督:高橋伴明
脚本:梶原阿貴
撮影:小川真司
編集:小川真司
照明:丸山和志
美術:丸尾知行
録音:植田中
装飾:藤田徹
音楽:吉川清之
主題歌:Tielle「CRY」
出演:板谷由夏、大西礼芳、三浦貴大、ルビー・モレノ、片岡礼子、土居志央梨、柄本佑、松浦祐也、下元史朗、筒井真理子、根岸季衣、柄本明ほか
配給:渋谷プロダクション

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。