【夜明けまでバス停で】コロナ禍以降、世間に吹き荒れる「自己責任論」の行方。想像力の欠如がもたらす凶行が奪うもの

osanai 夜明けまでバス停で

昼間はアトリエで自作のアクセサリーを売りながら、夜は焼き鳥屋で働いている北林三知子。しかしコロナ禍によって、仕事も住み込みの家も失ってしまう。
監督は「痛くない死に方」の高橋伴明。行き場を失った主人公の三知子を板谷由夏が演じている。

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若かりし頃、住む場所も仕事もお金もなく、半ばホームレスのような生活をしていた時期があった。そのため、ホームレスの人々を揶揄する発言を目にするたび、胸が焼けつくような痛みを感じる。

映画「夜明けまでバス停で」に登場する主人公・三知子は、昼間はアクセサリー作家としてアトリエで制作と販売を担い、夜は焼き鳥屋で住み込みのパートをして生計を立てていた。しかし、突如世間に吹き荒れたコロナ禍の情勢により、三知子はあっという間に仕事と住む場所を失ってしまう。

唯一の肉親である兄は、実母の介護と施設入所にかかる費用の工面に追われており、到底助けを求められる状況ではなかった。もともと実母との折り合いが悪く、家族間に軋轢を感じていた三知子は、頼る宛もないまま街中を彷徨い続ける。

街角には、魅惑的な見本メニューが目を引く飲食店が立ち並ぶ。どのメニューもボリュームたっぷりで、眩いほどに輝いて見える。食べたい。でも、食べるお金がない。そんな三知子が行き着いたのは、店の裏手にあるゴミ箱だった。冷え切った残飯を漁り、無我夢中で口に押し込む。それを見つけた店員が、怒鳴り散らして追い立てる。三知子の萎れた後ろ姿は、かつての私そのものであった。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。