【夜明けまでバス停で】コロナ禍以降、世間に吹き荒れる「自己責任論」の行方。想像力の欠如がもたらす凶行が奪うもの

残飯を漁って口に入れる時、食料が腐っていないかどうかは、臭いで確かめるしかない。暗がりの中では、カビの有無や変色の見分けがつかないからだ。三知子が鼻先に残飯を近づけて口に放り込む様を見て、過去の屈辱が喉元に込み上げた。見極めを誤り、腹を壊して公園のトイレで独り蹲った夜、私は作中に登場するホームレスと同じことを願っていた。

「明日こそ、目が覚めませんように」

三知子はその後、公園内を寝床にするホームレスの人々の助けを得て、どうにかその日その日を凌ぐ生活を続けていく。だが、そこに希望はなく、濃い疲労と焦燥が容赦なく彼女につきまとう。寝床のない三知子は、毎晩バス停のベンチでキャリーケースにもたれて眠った。その姿を見て、映画のタイトルの意味を理解した。

2019年12月に中国・武漢市ではじめてコロナウイルス感染者が確認されて以降、2020年から感染者は爆発的に拡大した。日本国内では、2020年3月に第1回目の緊急事態宣言が発令。その後も全国規模でまん延防止措置が取られたことにより、経済活動が著しく停滞し、失業を余儀なくされる人々が相次いだ。

この時期は、需要の多さから生活保護支援の対応なども後手に回るケースが多かったと聞く。初の緊急事態宣言から3年半が経った今でも、貧困に喘ぐ人は後を絶たない。

コロナ禍が続く2021年夏、とあるインフルエンサーがホームレスに対する罵詈雑言を放ち、人道上問題があるとして批判されたことは記憶に新しい。彼はのちに自身の過ちを認め謝罪したが、当然ながら謝ったからといって、口に出した言葉が「なかったこと」になるわけではない。これは、彼の発言に賛同の意を示した人も同様だ。

一度損なわれた尊厳は、時間の経過と共に回復することはあっても、「前とそっくり同じ状態」を取り戻すことはできない。吐かれた暴言を「聞く前」の自分には、どうしたって戻れないのだ。

1 2 3 4
S H A R E
  • URLをコピーしました!

text by

エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。