そのありふれた事件の裁判が開廷すると、被告であるロランスについてさまざまな情報が開示されていく。
ロランスはセネガル出身で、地元では優秀だったこと。
幼少期に母親から強い期待を受けて育ったこと。
その重圧から逃れるためにフランスの大学に留学したこと。
大学を休学し、30歳年上の男性と一緒に彼のアトリエで暮らしていたこと。
彼との間に子供ができ、出産したこと。
彼とは籍を入れなかったこと。
法廷の(そして観客の)関心事はただ一つである。
「なぜロランスはわが子を殺したのか」
幼少期の環境や文化的な背景など彼女の生い立ちを知ることができれば、異国で黒人であること、女性であることを抱えて生きてきた彼女の言葉を聴くことができれば、わが子を殺すようなことに至った背景や理由が明確になっていくに違いない。そこには何か差し迫った事情があるに違いない。観客も含めた、そういった思惑に彼女は応えない。無表情というよりは不愛想で、人を寄せ付けない空気をまとって、法廷で言い放つ。
「娘が死ぬまでの2年間は最悪だった」
育児が大変だったのか。パートナーと過ごす中で娘が邪魔になったのか。しかし、彼女は恋人に対する愛を示さない。むしろ、不信感や苛立ちを持っているように見える(表情からも言葉からもはっきりとした感情を受け取ることができないので、見えるとしか言えない)。
証言台に立つ初老の恋人は「彼女と娘との暮らしは幸せだった」と語る。しかし、彼は子供を認知しておらず、ロランスと付き合っていることさえ周囲の誰にも言っていなかった。
ロランスと恋人の話は食い違うというよりも、かみ合わない。この二人が同じ空間で暮らし、愛を重ねて、子育てをしていたと言われても、その様子がまったく想像できない。
嘘ついているのではないか、と問う検察官にロランスは言う。
「嘘をつくならもっとマシな嘘をつく。自分に都合の悪いことを言う、私の行為は愚かすぎる」
そして、拘置所でいじめにあっていたのか、との問いに対しては「赤ん坊を殺した女に同情する人はいない」と不愛想に客観的な返答をする。
さまざまな角度でロランスの感情に、思考に、その根本にある心に光が当てられる。しかし、その光はすべて違う角度に反射してしまう。その反射から、何らかの意味を読み取ることはできない。