作り手の「つくる」という意思

さて、ここまで脈絡もなく、印象に残った作品を一筆書きのように並べてきた。

「すごい」というのが作品の評価軸というか、感想として面白さと同一視されるケースが近年増えつつあるが、これらの作品もまた例外ではない。「よくこんな映画をつくれたね」という、労苦がフィーチャーされ過ぎて、そもそも作品の中身について検証された気配が感じられない。

「すごい」という感想が認められることによって、映画への入り口は低くなる。映画鑑賞で求められていた最低限のリテラシーさえも不要になり、「すごい」「やばい」「泣いた」「感動した」というワードが歓迎される。SNSでの書き込みは、基本的には批評でなく、称賛がベースになっている。(もちろん一部で読むに堪えない誹謗中傷もあり、それは問題外として考えてもらえたらと)

「すごい」が飛び散らかしている状況は、言語化能力や感性がどんどん痩せ細っていく世界線にもつながっていくだろう。漫才コンビ・ウエストランドは2022年のM-1グランプリを制したが、ネタ中に恋愛ドラマを指して、「恋愛映画は全部一緒。冴えない女の子がひょんなことから王子様系の男の子に会う話。または重い病気のやつだけ!」と批判したことに、笑えなかった映画関係者は少なくないのではないか。

作り手の「つくる」という意思がフィーチャーされる風潮は、同時に、脆さを抱えているともいえる。

プロセスエコノミーという言葉が流行したが、プロセスを開示することによってファンを集っていくような映画づくりがメインストリームになったとしよう。それこそウエストランドのような、誰かを傷つけかねない批判精神を宿した作品は皆無になってしまうのではないだろうか。

全てがディズニーやピクサーのようなストーリーラインを模倣する必要はない。そこに対峙し、抗い、オリジナリティを志向した作品こそ僕は称えたいと思う。それが、たとえ稚拙なアウトプットになったとしても。

面白い映画が見たい。

そのために僕は言葉を尽くす。「推さない」というコンセプトを携えながら。

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最後に、いつも本サイトを応援してくれている方々へのご挨拶を。

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S H A R E
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株式会社TOITOITOの代表です。編集&執筆が仕事。Webサイト「ふつうごと」も運営しています。