無知に立ち竦む
この映画を見終わったときに強く感じたことがある。
一つは、自分の無知だ。アイヌについて、アイヌが受けてきた不当な扱いについて何も知らなかった。
国立アイヌ民族博物館のWebページからアイヌの歴史についてのコンテンツを引用しよう。
アイヌ民族の歴史のはじまりは、北海道に人類がやってきた3万年前頃にまで遡ることができます。7世紀頃から、これまでの狩猟採集や漁撈に雑穀農耕が加わり、海を越える交易を盛んにおこなう特色ある文化が形成されていきます。
「お問合せ・よくある質問 」国立アイヌ民族博物館ホームページより引用
17世紀、周辺の諸民族と自由に交易をしていたアイヌ民族は、交易権を独占した松前藩によってその交易の場が制限されました。18世紀に入ると、和人の商人が交易を請け負い、漁場経営をする中で、多くのアイヌが漁場での労働に従事させられ、アイヌの社会は和人の経済社会に取り込まれていきます。
19世紀後半、南から和人、北からロシア人がやって来ると、アイヌの住む土地に日本とロシアの国境ができました。アイヌ民族は、樺太や千島から北海道へ強制移住させられ、北海道でも和人が街などを作るために強制移住させられることがありました。そして、伝統的なアイヌ文化の風習の禁止、日本語の習得が勧められるといった同化政策によって生活は大きな影響を受けました
本作品においても、アイヌが和人社会に排除されながら、取り込まれていく過程がたびたび描かれている。
- 子どもは日本語学校に入れられ、アイヌ語を使うと怒られ、バカにされる
- 土葬で葬ってきた先祖の墓が掘り起こされ、埋蔵されていた金品が簒奪され、遺体の頭骨が研究用として持ち出される
- 自身がアイヌであることを恥じ、和人の仲間になろうとする
その他にも、現実には以下のようなことが起きていた。
- 成人女性が口の周りや手の甲などに刺青を入れる、男性がピアスをつけるといった習慣が禁止される
- すべての土地が国有地化されたため、アイヌ民族が使える土地がなくなり、薪の確保が難しくなった
- サケやマスを川でとること、毒矢で鹿などをとることが禁じられ、主食の確保が困難になった
アイヌが長らく住んでいた土地に、和人が自分たちの都合と価値観に基づいてアイヌの文化と歴史を破壊していったという事実がどのようなものなのか、僕はこの作品に出会うまでわかっていなかった。「昔から北海道にはアイヌという民族がいて、一部の人に差別されながらも今も暮らしている」。この一文以上の知識を持ち合わせていなかった。それがいかに残酷で、異常なことなのか、何もわかっていなかったのだ。
和人のやってきたことを何も知らないで、パレスチナを侵攻するイスラエルを、生活と文化を居住地を力で奪う一連の行為を非難していたのだ。
簒奪者が別の簒奪者を批判するという、愚の骨頂のような図式をアイヌの人が見たらどう思うかを想像する。その冷たい視線と恥ずかしさから逃れたくて、僕はずっと目を閉じて立ち竦んでいるしかない。