【フローラとマックス】愛すべきクソババアになるために

親子と音楽と恋

プレゼントしたギターを息子が受けとらないので、フローラは自分が弾くことにした。オンラインでよさげな講師を見つけ、指導を受けることにするが、講師を選んだ基準は「顔」。最初からフローラは講師に分かりやすく色目を使う。

ちなみに父親は別居中で、外に彼女をつくって同棲している。親がそれぞれに自由な恋愛を楽しむ傍ら、マックスも高価な花のような女子に恋をしていた。

恋と同時進行で進むのは音楽。フローラはギター講師に惹かれると同時に、音楽好きな気持ちが純化していく。その間マックスも密かにDJの腕をあげ、音楽を磨くことで好きな女の子にアピールしようと励む。そんな中、突然あるタイミングで母と息子が音楽を通して交流しはじめる。別々の方向を向いていた矢印がお互いに向きはじめるのである。

音楽を通すことで、フローラは母親のように(いや母親なんだけども)息子の恋を応援したり、傷ついた息子と向き合ったりする。息子も息子で、これまで「クソババア」中心だった語彙が、傷つき、羞恥、怒りなどを伝える言葉へと変わっていく。

ああ、そうか。そうかもしれない、と思った。
親子って、こうなのかもしれない。

私の息子は1歳なので当然コミュニケーションはまだ取れないが、自分が子どもだった頃を思い返すと、親子喧嘩はなかなかたちが悪かった。欠点が似ているから目につきやすいし、大人になると人は立派になるものだと思い込んでいる。だから言葉を選ばないどころか傷つける言葉を積極的に選んでしまうし、勝つために他所はどうだとかあの子の家はこうなのに、みたいな言葉で戦ってしまう。

しかもフローラは圧倒的に正しくない。一般的にいい母親とはいえない。傷つけようと思えばいくらでも言葉は選べるはずだ。だけどそうやって傷つけたとして、口喧嘩に勝てたとして、マックスが幸せになれるわけではないのだ。

言葉ではどうにもならないことがある。言葉だと難しいことがある。

そこに音楽があることで、常識や世間から自由になれたのかもしれないと思った。自由になってはじめて、自分という人間一本で向き合うことができたのかもしれない。

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S H A R E
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フリーライター、エッセイスト、Web編集者、ときどき広報。沖縄に10年くらい住んでます。読書と短歌と育児が趣味。