「いい映画」に乗って旅をする。

アシスタント」(監督:キティ・グリーン)は、「顔」でなく「名前」の映画だ。

主人公のジェーンは、映画プロデューサーになるという夢を抱き、有名エンターテインメント企業に就職した。最初はいわゆるアシスタント業務、スケジュール調整や運転手の手配、資料の印刷、備品の整理など、ありとあらゆる雑務をこなす。

「雑務」と書いたが、実際こういった業務を手掛ける人材(あるいはアウトソース)は必要だ。こういった細々したことが整理されていなかったり、経営者自らこなしているような会社は絶対に伸びない。僕も人事を務めていたときに、なかなかコア業務をこなすことができずに困っていたとき、学生アルバイトで入ってくれたメンバーの働きによって飛躍的に業務効率を高めることができた。DX化によってアナログな仕事は減少すると予想されているけれど、おそらくアシスタント業務はゼロにはならない。

この作品が問題なのは、ジェーンが過小評価されているということだ。

同僚の誰もが、ジェーンの名前を呼ばない。僕の見落としかもしれないが、彼女の名前が「ジェーン」だと知ったのはエンドロールである。「ああ、あの女性は『ジェーン』だったんだな」と知ると同時に、監督のキティ・グリーンがジェーンに寄せる感情の温かさにホッとした。(ちなみにジェーンを邪険に扱っていた同僚は、「男性アシスタント1」、「男性アシスタント2」とクレジットされていた)

以前僕は、35年間営業を続けていたパン屋を取材したことがある。2年前に惜しまれながら閉店してしまったが、恐ろしいことに、僕はパン屋で働く人たちの名前を知らなかった。足繁く通い、時には会話を交わしていたのに、そこで働く「おじちゃん」「おばちゃん」のことを何も知らなかったのだ。

それが東京という街の宿命なのかもしれない。だが少なくとも、「アシスタント」に出てきた登場人物のことを、僕は非難することはできないと思う。どうして非難することができるだろう。近所の薬局のおねえさんも、息子とよく行く児童館のスタッフも、僕は名前を存じ上げない。

それで良いのだろうか。名前よりも、会員番号(社員番号)で識別される時代はすぐそこに来ているのかもしれない。(なお主人公の「ジェーン」とは、英語で匿名の女性を指す“Jane Doe”に由来しているという)

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S H A R E
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株式会社TOITOITOの代表です。編集&執筆が仕事。Webサイト「ふつうごと」も運営しています。