【ソウルメイト】怖いほど、あなたを愛してる

ジヌを接点に再び2人が出会ったとき、その状況はハウンに、ミソとジヌの不義を想像させるに十分なものだった。ジヌの部屋に散らばる、ミソのキャミソールやブラジャー。幼き日、自分を縛るものの象徴としてミソが嫌悪していたもの。あの日の少女たちは、いつのまにか「女」になっていた。2人のあいだに降り積もった時間は、残酷なほどに果てしない。

あなたを一番愛しているのは私なのに。私を一番愛しているのはあなたなのに。2人は感情を激しくぶつけ合う。どうしてここまで来てしまったのか。愛があまりにも伝わらないことへのもどかしさ、怒り。

「愛情に過度はない。過度なのは熱情」。かつてある人がそんなことを言っていた。それまでの彼女たちのあいだにあったのは、愛情にも近い熱情だったのかもしれない。あるいは、愛情であると同時に熱情でもあるもの。

男女3人の人間関係を描くとき、それが男性1人と女性2人の物語ならば、男性1人をめぐって女性2人が争うという構図はわかりやすい。この映画も一見するとそういうストーリーに見えてしまう。だが、本質はそうではない。ジヌの登場はミソとハウンの関係に確かにゆらぎを与えるが、彼中心の関係へと変化したわけではない。ジヌの存在は、ミソとハウンにとって、互いの思いの輪郭をより鮮明にさせるリトマス紙のようなものだった。自分はどう生きたいのか。誰を、何を大切にしたいのか。

途中、あまりにも乱れる時系列と、めまぐるしく進むストーリー展開に混乱も覚える。何がミソとハウンにとっての真実だったのか。1つ確かなことがあるとすれば、2人は間違いなくソウルメイトだった。無数の人が生きるこの世界で偶然出会い、時に過分なほど愛し合い、憎み合い、慈しみ合い、傷つけ合いながら共に生きた。共に世界を感じた。

ソウルメイト。映画を観終わった今、あらためてこの言葉を反芻する。私にとってそれは、「幼なじみ」「友達」「親友」「恋人」「恩師」「お世話になった人」といった、人間関係に付与される場当たり的なラベリングを超えた先にいる存在のことだ。今現在の物理的距離はどうであれ、強く感情を震わせ合ったことのある、共にこの世界を生きていると強く感じられる存在のことだ。

今、情報の大海原の中で、たまたまこの文章を見つけて読んでくれている、あなた自身のソウルメイトは今どこにいるだろうか。あなたは誰のソウルメイトだろうか。

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■ソウルメイト(原題:소울메이트、英題:SOULMATE)
監督:ミン・ヨングン
脚本:カン・ヒョンジュ、ミン・ヨングン
撮影監督:カン・グクヒョン
編集:ハン・ミヨン
照明:キム・ヒョソン
美術:オ・フンソク
音楽:モグ
出演:キム・ダミ、チョン・ソニ、ピョン・ウソクほか
配給:クロックワークス
公式サイト:https://klockworx-asia.com/soulmatejp/

(イラスト:水彩作家yukko

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随筆家。徒然なるままに徒然なることを。本・旅・猫・日本酒・文化人類学(観光/災害/ダークツーリズム)などなど。