【僕らの世界が交わるまで】自己愛が向かう先にあるはずのクラッシュ

自己愛が強くてそっくり

「僕らの世界が交わるまで」の主人公エヴリンは、DV被害者のためのシェルターを経営して、救いを求める人々のために献身的だ。息子のジギーは、世界中にいる2万人のフォロワーに向けて、自作の歌をライブ配信して支持を得ている。

やりがいを貫きそれを形にして、成果を出しているふたりだが、お互いのことが分かり合えずにすれ違っていた。

しかし、父のロジャーが「ふたりとも自己愛が強くてそっくりだ」と言った通り、自分の理想像を追い求めるところがよく似ている。

エヴリンはシェルターの入居者親子の息子カイルに進路を諭そうとし、ジギーは、聡明で社会に対する意見をはっきりと主張するライラにどうにかして近づこうとしていた。

そして、すれ違っていたエヴリンとジギーだが、最終的には互いを求めていたことに気づく。

ジギーの憧れるライラは、社会奉仕を仕事にするエヴリンのようだし、エヴリンにとってのカイルは、言うまでもなく息子の身代わりだった。

映画のラストでは、ジギーはエヴリンの働くシェルターを訪れ、施設に飾られたエヴリンの功績をゆっくりと眺めて、入居している子供たちの姿を目の当たりにする。ジギーは改めて母が人生を捧げている行いの実体を見たのだ。

同時に、エヴリンはジギーの配信動画を見て、初めて彼の音楽を聴き、幼いジギーの動画を感慨深げにじっと見つめる。
そしてふたりはようやく、実際に向き合うことになるのだ。

アイゼンバーグが考察したかった異なる価値観を持った近しい人物との共存は、かつて心を通わせた関係だとしても困難ということだ。
相手に自分の理想を重ねて、そのギャップに苦しみ、代わりを求めた結果、大失敗に終わることもある。

「並んだ線路の2つの高速自動車。クラッシュはしないけど出会うこともない」

これはジギーの自作の歌詞だが、ジギーとエヴリンの関係性のように思える。いつもそばにいるが、自分の目的地へと疾走する車は、正面から出会うことはないのだと。

遠回りしたとしても、クラッシュしたとしても、正面から向き合うことに遅すぎるなんてない、と静かなラストシーンは感じさせてくれた。

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■僕らの世界が交わるまで(原題:When You Finish Saving the World)
監督:ジェシー・アイゼンバーグ
脚本:ジェシー・アイゼンバーグ
撮影:ベンジャミン・ローブ
美術:メレディス・リッピンコット
衣装:ジョシュア・J・マーシュ
編集:サラ・ショウ
音楽:エミール・モッセリ
出演:ジュリアン・ムーア、フィン・ウォルフハード、アリーシャ・ボー、ジェイ・O・サンダース、ビリー・ブリック、エレオノール・ヘンドリックスほか
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
公式サイト:https://culture-pub.jp/bokuranosekai/

(イラスト:水彩作家yukko

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1988年長崎県出身。2011年関西大政策創造学部卒業。18年からサンドシアター代表として、東京都中野区を拠点に映画と食をテーマにした映画イベントを開催。「カランコエの花」「フランシス・ハ」などを上映。映画サイトCinemarcheにてコラム「山田あゆみのあしたも映画日和」連載。好きな映画ジャンルはヒューマンドラマやラブロマンス映画。映画を見る楽しみや感動をたくさんの人と共有すべく、SNS等で精力的に情報発信中。