【蟻の王】適切な関係と正しい愛

同性愛は病であり、罪である

1960年代のイタリアの田舎町で、詩人、劇作家、脚本家、そして蟻の生態学者であるアルドと画家を志すエットレは出会う。師匠と弟子という関係を超えて惹かれ合う2人は恋人同士となり、ローマで一緒に暮らすようになる。しかし、エットレの家族はこれを認めず、2人を引き離すためにエットレを矯正施設に入れ、転向治療を受けさせる。

1960年代のイタリアでは、同性愛は治すべき病気だった。聖職者が運営する矯正施設に入れられたエットレは、両手両足を拘束され、口にタオルを詰め込まれ、こめかみにつけた電極から電気を流される。転向治療を受けて、痩せこけたエットレに母親は言う。「お前がそんなだと私は辛い」「子どもの頃を思い出して。毎日祈って」

一方で、アルドについては警察に通報し、支配的な関係下で教え子に性的な関係を迫ったという教唆罪で告訴する。

アルドが教え子と性的な関係を持っていることは地元でも知られていた。また、彼は決して人格者ではない。芸術に関して持論を語り、演技の指導ではパワハラとも言える厳しい指導をする。元恋人のパーティにエットレを連れて行くし、エットレが他の男性に取られそうになると嫉妬するエゴイスティックな面もあった。そんなアルドに、社会はエットレが同性愛という病気になった原因を押し付ける。罪名をつけて。

法廷でアルドは孤立している。彼の弁護人ですら同性愛者の証言を声を上げて笑っている。差別意識が蔓延する法廷で、アルドはソクラテスについて語り、ニーチェの言葉を引用して、法廷にいる人々に語りかけるが、その言葉は宙に浮かんだまま、誰にも響かない。

法廷の外では、アルドの逮捕に対して人権団体などによる抗議活動が起きる。新聞記者のエンニオは、アルドを助けようと法廷取材をして記事を書く。しかし、社会は変わろうとしない。抗議する活動家には侮蔑の言葉が投げつけられ、エンニオの記事は編集長によって書き換えられてしまう。裁判は滞りなく進み、アルドの教唆罪が確定する。

流れは変わってきている、控訴して戦おうと呼びかけるエンニオに対して、アルドは「風が変わっても、権力者は変わらない」と静かに語る。アルドが語った「権力者」には主権者である国民も含まれているのだろう。

本作品は、実話をもとに作られている。監督であるジャンニ・アメリオは、イタリアで初めて教唆罪に問われたアルド・ブライバンディの裁判が始まったときに、彼の逮捕に反対するデモに参加している。本作品に関する、彼のステートメントを引用しよう。

見る人は不思議に思うかもしれない。「どうしてこんなことが可能だったのだろう?」「どうしてこんなことが起こったのだろう?」と。今日において、表面的には誰もスキャンダルを起こすようなことはしなくなったが、「蟻の王」には、異端審問のようなものがあり、私たちは今でもそれを毎日目撃している。なぜなら、本質的にはあまり変わっていないからだ。寛容そうに見える表情の裏には、偏見が存在し続け、「異なる」人に対する憎悪や軽蔑を生み出している。

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S H A R E
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1984年生まれ。兼業主夫。小学校と保育園に行かない2人の息子と暮らしながら、個人事業主として「法人向け業務支援」と「個人向け生活支援」という2つの事業をやってます。誰か仕事をください!