【月】命は、優劣なくそこに“在る”もの。「優生テロ」事件を正当化しないために、鋭い問いを投げかける挑戦作

出生前診断は、「優生思想」に該当するのか

物語は、さとくんと同じ職場で働く堂島洋子の視点で進んでいく。洋子は元人気作家だったが、あるきっかけで小説が書けなくなった。洋子の夫・昌平は売れないアニメーション作家で、二人の間にはかつて息子がいた。しかし、息子は生まれながら心臓に疾患があり、手術の影響で重度の障害を患ったのち、3年という短い生涯に幕を閉じた。

夫婦の傷は、長い間癒えなかった。さりとて、働かねば日々の生活は成り立たない。日常を立て直すために洋子が選んだ仕事は、重度障害者施設の介護職員だった。

施設で働きはじめた洋子は、ほどなく障害者施設の現実を突きつけられる。抵抗できない入所者に、日常的に虐待を加える職員。汚物にまみれた入所者が、掃除もされずに鍵付きの部屋に閉じ込められている現状。想像以上に劣悪な環境を目の当たりにした洋子は、強い憤りを覚えた。だが、同時期に自身の妊娠が判明し、洋子は自分の中に潜む差別感情と向き合うこととなる。「また障害のある子どもだったら」──その不安が、洋子の中で膨れ上がっていた。

「出生前診断」の選択を医師は提案するが、「診断で子どもに異常が見つかった場合、96%以上の人が中絶を選ぶ」という統計を聞き、洋子はさらに悩みを深めていく。

「障害児の母」だった自分。「障害者に対して虐待や差別をする人に憤る」自分。「生まれてくる子どもに障害があったら」と不安を抱く自分。そこに矛盾はないのか。自分は結局「障害者」を差別しているんじゃないのか。「障害者なら要らない」と思っているんじゃないのか。

洋子が抱く葛藤は、子を身籠った母親の多くが味わうものであろう。出生前診断は、「命の選別」に該当するのか。そこに疑問や矛盾を感じるのは、むしろ人として当然の感情だと私は思う。

私個人としては、出生前診断と「優生思想」はイコールではないと考えている。何より、生まれてくる我が子の健康を祈ることは、親ならば当たり前のことだ。経済状況や家庭環境、支援の手があるか否かで、「産む」選択を手放すよりほかない人もいる。

「堕胎」=「殺人」と安易に捉える風潮は、母親と新たな命を無闇に追い詰める可能性を孕んでいる。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。