【月】命は、優劣なくそこに“在る”もの。「優生テロ」事件を正当化しないために、鋭い問いを投げかける挑戦作

「社会にとって不都合なことは隠蔽される」障害者施設が抱える闇

さまざまな悩みを抱えながらも、洋子は施設長に虐待の実態を直談判した。しかし、洋子の告発はあっさりと受け流され、「なかったこと」にされてしまう。同施設で働く坪内陽子は、そんな施設の現状について以下のように語る。

「そういうのって隠蔽されるじゃないですか。この社会にとって不都合なことは全部隠蔽されるんです」

私は、その現実を知っている。かつて、虐待の後遺症で入院していた精神科の閉鎖病棟は、まさに本作の施設内の環境と酷似していた。鍵付きの部屋に閉じ込められ、叫び声を上げる人々。男性職員が入所者の背中を殴打しながら、無理矢理部屋に引き摺っていく様。「病棟」という密室で、「告発できない」相手に対して行われる虐待や身体拘束を、私は幾度となくこの目で見てきた。

20年以上前のことなのに、今でも鮮明に思い出せる。病棟内の音、臭い、空気、冷笑。脳内にある記憶を映像化したものが、スクリーンに映し出される。それはまるでデジャヴのようで、施設に収容されている人々と過去の自分が重なった。抵抗を諦め、意志を伝えることを諦め、人間として扱われることを諦めたあの当時、私も彼らと同じように保護室という檻の中で、壁の一点を見つめていた。

本作で描かれる光景は、偽りなく現実だった。そして、それらは陽子の言う通り、ことごとく隠蔽された。見ないふり、知らないふりをする方が、きっと楽なのだろう。自分の腹が痛まない事案において、人は容易に目をつぶれる。だが、当事者はそうはいかない。それなのに、目をつぶる選択肢を持たない当事者の声は、不思議なほど届かない。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。