【月】命は、優劣なくそこに“在る”もの。「優生テロ」事件を正当化しないために、鋭い問いを投げかける挑戦作

考えるべきは、障害者支援の充実と支援環境の改善。「障害者の命の重さ」を問う必要はない

さとくんは、はじめから「重度の障害者は不要」と考えていたわけではない。むしろ、入所者に対して親身に接し、紙芝居を自前で作成するなど精力的な姿勢を見せていた。だが、先輩職員はそんなさとくんの努力を嘲り、不当な扱いで彼を貶めた。やがて、さとくんの思想は極端なものに傾倒し、冒頭に記した事件を起こす。

障害者を殺すに当たり、さとくんはある基準を定めた。それは、「“心のある”障害者は殺さない」というものだった。

「人間は殺しません。心があれば人間。心がなければ人間じゃない。だから、ちゃんと丁寧に確認します。あなた、心ありますか?って」

犯行に及ぶ前、洋子に対する長い独白の中で、さとくんはそう言った。犯行当日、彼は宣言通り、障害者一人ひとりに対して「心ありますか?」と問いかけた。答えられない者たちは、容赦なく殺された。さとくんは、「答える術を持たない人間」を「心のない人間」として一括りにしたのである。

さとくんの犯行も、植松死刑囚の犯行も、そこに至るまでにさまざまな要因や社会的課題が潜んでいる。事件の根源に向き合うために、多くの人が考えるべき問いがこの作品には詰まっている。だが、一つだけはっきり明言しておきたい。

考えるべきは、障害当事者や障害者家族、障害者支援に携わる人々の環境改善と、支援体制の充実である。本作は、「障害者の命が必要か否か」を問うているのではない。

命の重さは平等だ。この社会は不平等だし、世間は温かいだけではないし、世界はたしかに残酷だ。それでも、命の重さだけは、分け隔てなく公平である。

“命そのもの”に意味なんかない。精子と卵子が受精した。結果、命が誕生した。そこに優劣は存在しない。ただ、“在る”だけ。「要らないのに産み落とされた」私は、そう思うことで今日まで命をつないできた。「命」や「生まれてきた理由」に意味をつけようとした途端、私は明日を生きることさえ危うくなる。

後付けで自分の命に理由を付けたい人は、好きにすればいい。その代わり、他人の命の重さに口を挟まないでほしい。生産性の有無で命の価値を決めないでほしい。障害者や障害者家族が「可哀想」かどうかを勝手に決めないでほしい。

さとくんは、重度障害者のきーちゃんに対し「可哀想に」と言い放った。私は、その言葉が一番許せなかった。障害の種類は違えど、私も障害者だ。完治は見込めず、病状が悪化すれば意思疎通さえ困難になる。でも、私が「可哀想」かどうかは、私が自分で決める。

「障害者」という名前の人間は、この世にひとりもいない。みんな名前があって、家族がいて、当然ながら心がある。

本作が投げかける問いの意味を、決して履き違えてはならない。

洋子は、さとくんに言い切った。

「私は、あなたを絶対に認めない」

私も、認めない。その上で、問題の本質に向き合い続ける。“殺されるかもしれない側”に立つ者の声が、届くべき場所に届くことを願いながら。

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■月
監督:石井裕也
原作:辺見庸『月』
脚本:石井裕也
企画:河村光庸
エグゼクティブプロデューサー:河村光庸
撮影:鎌苅洋一
照明:長田達也
録音:高須賀健吾
美術:原田満生
美術プロデューサー:堀明元紀
装飾:石上淳一
衣装:宮本まさ江
音楽:岩代太郎
出演:宮沢りえ、磯村勇斗、長井恵里、大塚ヒロタ、笠原秀幸、板谷由夏、モロ師岡、鶴見辰吾、原日出子、高畑淳子、二階堂ふみ、オダギリジョーほか
配給:スターサンズ
公式サイト:https://www.tsuki-cinema.com/

(イラスト:水彩作家yukko

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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。