【アウシュヴィッツの生還者】戦争の「その後」に想いを馳せ続けること。

ぼくは日韓露ミックスであり、同時に元在日コリアンでもある。出生時の国籍は韓国で、書類上は在日コリアン3世だか4世に当たる。だから必然的に親元を離れるまで、いわゆる在日コリアン社会に身を置いていた。でもこの日本社会に生きる大半のひとが、なぜぼくたちが日本で生きているのかを知らない。中には「在日コリアン」という存在すら知らないひともいる。一部のひとは戦争の「その後」になど、興味なんかないのだ。

日本による植民地支配、その末の創氏改名。ぼくたちが通称名として役所に登録している「日本名」は、在日コリアンたちが進んで名乗り始めたわけじゃない。日本人によって、強制的に当てがわれたものだ。朴さんは木下さん、金さんは金山さん、尹さんや李さんは伊藤さん。こんな具合に。その歴史を知らない一部のひとは、在日コリアンが日本人のふりをするために日本ふうの「偽名」を名乗って悪事を働くのだと強く信じている。

そして「日本名」問題は、在日コリアン社会の内部でも分裂の原因となる。屈辱的な歴史の象徴とも言える通称名を自ら進んで名乗る人間に対し、主に1世や2世は好意的な感情を向けない。あのひとたちの祖国は朝鮮で、民族の誇りを今も重んずる。だけど日本で生まれ日本で育ったぼくたちは、朝鮮語すら話せない。在留カードに記されていた本籍地とやらに足を踏み入れたことすらないし、もっというとぼくが韓国に行ったのはたったの2回だけだ。ぼくたちの世代の大半は、もう朝鮮半島にも韓国にも、「在日コリアン」にも帰属意識を持てない。

自分たちを虐げた「日本人」に生の憎しみを抱く上の世代と同じ熱量で、「日本人」と呼ばれるひとたちを憎むことなどできやしない。友だちも、かつての恋人も、現在のパートナーも、そのほとんどが「日本国籍かつ海外ルーツを持たない日本人」であるぼくは、彼人らを愛している/いた。「日本名」を選択するひとに「恥ずかしくないのか」と迫る父や祖父母を、正直、疎ましくさえ思う。本名である韓国名で生活することを強要される謂れはないし、その行為は人権侵害に当たる。たとえどのような屈辱的歴史があろうとも、それとは別にして、ルーツをクローズドにして生きる権利がぼくにはある。もちろん韓国名を名乗りオープンリーにして生きる権利も。この軋轢と受けた加害、受け止め方の違いもまた、戦争の「その後」と言えよう。

だからぼくからすると、ベレツの怒りは理不尽に思えてならない。過去をクローズドにして生きる選択をする自由がベレツにあるように、オープンリーにして生きる選択をする自由がハリーにもあるのだから。

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S H A R E
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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。