【東京裁判】どんな目的であろうとも、どんな意図であろうとも、「戦争」という手段を用いることは間違っている

どんな目的であろうとも、どんな意図であろうとも、「戦争」という手段を用いることは間違っている。戦争時の侵略行為に関する国際的な法律が確立されていない中、敗戦国だけが裁かれた「東京裁判」は、たしかに公平ではなかった。だが、だからといって戦争が正当化されるわけではない。

本作で、「戦争は合法的な人殺し」との言葉があった。戦国時代からの歴史を振り返ると、この言葉はある意味真実だろう。だからこそ、決して許されるべきではない。人殺しが“合法”とされるものが戦争である以上、その行為が人々に与えるものは、絶望と恐怖だけである。

折しも、台湾を訪問中の麻生副総裁が8日午前、台北市内で開かれた国際フォーラムで講演した内容が物議を醸している。台湾海峡での戦争を回避するため、抑止力強化に向けた「戦う覚悟」が重要と訴えた麻生氏に、私は問いたい。では、いざ開戦となった時、あなたは戦争の最前線に立つのですか。銃を持ち、最小限の食糧だけを携え、人を殺し、殺される現地にあなたは赴くのですか、と。

「東京裁判」は、通常の映画作品の倍の時間を要する。それでも、相当数のエピソードがカットされている。実際の東京裁判は、800回を超える公判回数であった。また、第二次世界大戦をはじめ、戦争の歴史は何十年にも及ぶ。到底、数時間で語りきれるものではない。

裁判すら行われず、憎悪と復讐にさらされて殺害・拷問された者も大勢いた。裁判においても、他者や上官の罪を背負い、処刑された者もいる。そして、諸外国を含む戦争による被害者の総数は、もはや判別不可能である。

本作を鑑賞したのち、私の感情を支配したのは「恐怖」と「怒り」だった。こんなことは、もうたくさんだ。こんな歴史を、息子たちに繰り返させてたまるか。誰になんと言われようと、私は「戦争」という手段を肯定できない。したくもない。地獄しか生み出さない戦争の結末が、報復の意味で行われた裁判で幕を閉じた。その歴史を踏まえた上で、私たち一人ひとりが、恐れずに声を上げるべき局面を迎えているのではないだろうか。

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■東京裁判
監督:小林正樹
脚本:小林正樹、小笠原清
原案:稲垣俊
監督補佐:小笠原清
音響効果:本間明
録音:西崎英雄
編集:浦岡敬一
資料撮影:奥村祐治
ネガ編集:南とめ
演奏:東京コンサーツ
音楽:武満徹
ナレーター:佐藤慶
配給:太秦

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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。