【渇水】その流れに、意志はあるか

流れは変えられるのか?

ある日、岩切は、停水執行寸前の家で小さな姉妹と出会う。その家の父親は蒸発しており、やがて母親も帰ってこなくなる。電気やガスはすでにとまっていた。最後の命綱である水を、岩切と木田がとめなくてはならなかった。

懸命に生きる少女たちとの出会いをきっかけに、岩切は自らの渇きに気づき始める。本当は腹が立っていて、満たされなくて、気に食わなくて、変えてやりたいことは、いくらでもあったのだろう。おさえきれなくなった渇望は大きなエネルギーとなり、岩切は流れを変えようと行動を起こしていく。

その様子を観ているうちに、私のなかに相反する2つの感情が沸き起こった。

ひとつは、希望。岩切のエネルギーは、確実に何かを好転させた。わずかばかりかもしれないけれど、彼のなかに、周囲の人々のなかに、ようやく雨が降り始めた。

一方で、哀しくもなってしまった。本作に限らず、社会問題をテーマにした映画を観るたびに強く思う。私にも何かできることがあるといいのに、と。しかし、さまざまな要素でできあがった「社会」という強い流れは、個人がすこし願ったくらいでは変わらない。作中の岩切の行動も、結局、根本的な解決には至っていない。

個人が変えられることは、あまりにも限られている。時に流れが強すぎて、何もできないことだってある。立ち向かうのは、決して簡単なことではない。現に、映画の原作となった河林満氏の小説『渇水』は、30年以上前に発売されたもの。当時の問題提起が、現代でも解決せずに残っているのだ。

だから、私たちは渇く。「何かを変えたい」と「どうせ何も変えられない」のあいだで、もがくばかりだ。

それでも、一人ひとりのエネルギーが完全に枯れてしまったら、社会の流れが変わる可能性はゼロになってしまう。もちろん、個々の人生についても同じことが言える。諦めてはいけない。流されるままではなく、自らの意志によって流れを変えようとし続けることが重要だ。しんどいけれど、それが「生かされる」ではなく「生きる」ということなのかもしれない。

流れは、今日もとまらない。いかにして、世界に雨を降らせようか。

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■渇水
監督:高橋正弥
原作:河林満『渇水』
脚本:及川章太郎
企画・プロデュース:白石和彌
撮影:袴田竜太郎
照明:中須岳士、小迫智詩
美術:中澤正英
録音:石貝洋
編集:栗谷川純
音楽:向井秀徳
出演:生田斗真、門脇麦、磯村勇斗、山崎七海、柚穂、宮藤官九郎、宮世琉弥、吉澤健、池田成志、篠原篤、柴田理恵、森下能幸、田中要次、大鶴義丹、尾野真千子ほか
配給:KADOKAWA

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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東京在住。コピーライター。好きな映画は「ファミリー・ゲーム/双子の天使」「魔女の宅急便」。