【渇水】その流れに、意志はあるか

人生は、否応なく流れていく

変化の兆しを見逃したり、好転のチャンスをうまくコントロールできなかったり。そして気がついた時には、目の前の状況を受け入れるほかなくなってしまう。これは水道料金の支払い滞納者に限った話ではない。

たとえば、岩切もそうだ。彼は幼い息子との関わりかたがわからず、次第に子育てから遠ざかってしまう。妻は岩切に何度も歩み寄ったが、岩切はチャンスに気づけなかった。しびれをきらした妻は、息子を連れて実家へ帰ってしまう。

社会。自然。周囲の人々。人は、さまざまなものと影響し合いながら生きている。自分の意思とは関係なく、まるで水のように、否応なく流れる日々。自ら流れを変えるには、大きなエネルギーが必要だ。変化を恐れ、躊躇することもあるだろう。にぶいふりをして、機会を逃してしまうこともあるだろう。

人生は選択の連続だ。そんな常套句を聞いたこともあるが、案外自分で選択できていることなんて、それほどないのかもしれない。決断せざるを得ない状況に追い込まれて、なんとなく決断をして、流されて。人生というものは、そうやってかたちづくられているようにも思う。そんな現実に「運命」ときれいな言葉をあてることもできるし、「そんなもんだ」と諦観のような思いをあてがうこともできるだろう。

「岩切さん、なんでこの仕事をやろうと思ったんですか?」と聞いてきた木田に対し、岩切が「たまたま流れついただけ」と答えるシーンも印象的だった。

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S H A R E
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東京在住。コピーライター。好きな映画は「ファミリー・ゲーム/双子の天使」「魔女の宅急便」。