【怪物】私たちはいつも、「正しい」答えを探しすぎる

osanai 怪物

大きな湖のある郊外の町で、シングルマザーの早織は小学生の湊とともに暮らしていた。ある夜、帰りの遅い湊を探していると、廃線跡の暗いトンネルの中で「かいぶつ、だーれだ」と呼び掛けている湊を発見するのだが──。
監督は是枝裕和、脚本は坂元裕二。ロケーションは長野県の諏訪湖周辺で、劇中に登場する廃電車は美術の三ツ松けいことセットデザインの徐賢先が手掛けた。坂本龍一は、本作が最後の映画劇伴となる。

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「怪物」──この言葉を聞いて、どんな生き物を想像するだろうか。殊更に非道で、悪意と狂気に満ちた生き物。そんなイメージを抱く人が多いのではないかと思う。

“かいぶつ、だーれだ”

映画「怪物」の予告編では、繰り返しこのワードが流された。そのため、鑑賞中に「誰が怪物なのか」を無意識下で探していた。だが、“犯人探し”に近い感覚で人物の言動や行動を食い入るように見つめていた私は、鑑賞途中、冷水を浴びせられたような感覚を味わうこととなる。

本作は、ある出来事に対し、異なる人物の視点で物事を捉える三章構成となっている。映画序盤は、シングルマザーの早織視点で物語が進んでいく。早織の子どもである湊は、靴の片方をなくしたり、水筒から泥水が出てくるなど、心配な状況が続いていた。その矢先、湊本人から、担任の保利先生に暴言や暴力を受けていると聞かされる。

我が子の現状を知った早織は小学校に赴き、校長先生をはじめとして教師たちに現状を訴える。しかし、そこで目の当たりにしたのは、学校の隠蔽体質と保利の憮然とした態度だった。

「誤解を生むことになって残念だ」と述べる保利に対し、早織は「誤解ではない。息子は実際に傷つき、怪我までしている」と詰め寄る。結果的に湊が受けた暴力の実態は明るみに出て、地元新聞で一面に取り上げられた。問題は解決したかに見えたが、台風が接近する最中、突然湊が行方不明となる。

物語はここから新たに保利の視点へと切り替わり、最終的には子どもたちの視点へと移る。「子どもたち」とは、早織の子どもの湊と、同級生の星川依里だ。依里は笑顔を絶やさない子どもだったが、体に痣や火傷の痕があった。上履きを隠されたり、トイレに閉じ込められる現場を目撃していた保利は、その際に近くに居合わせた湊に疑いの目を向け、「湊が依里をいじめている」と主張する。

怪物は、果たして誰なのか。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。