【怪物】私たちはいつも、「正しい」答えを探しすぎる

怪物は、自らの内側だけに存在するわけではない。外側から与えられた情報は、怪物を育てる餌だ。夫以外の男性と歩いていれば、「浮気をしている(かもしれない)」と言われる。厄介な精神疾患を抱えていれば、「仕事を任せる信頼に値しない人(かもしれない)」と言われる。どちらも、私の実体験だ。括弧の中の「かもしれない」は、大抵の人が口にしない。物事の断片だけを見て、「こうに違いない」と決めつけて言い切る。言い切られた言葉には、余白がない。「そうじゃないかもしれない」と想像する余白が切り取られた言葉は、鋭いわりに、やけに甘美だ。

餌が多ければ多いほど、人は食らいつく。ぐるぐる回る噂話の中で、怪物はどんどん大きくなる。「火のないところに煙は立たない」とよく言うが、あれは違う。火のないところにも煙は立つし、人の口を介すごとに実際に起きた事実からかけ離れていくことは往々にしてある。

“かいぶつ、だーれだ”

この答えは、人によって異なるだろう。同じく、ラストシーンの解釈も大きく割れるものと予想される。美しいエンディングだった。きれいなものを見ると涙が出るのは、美しさと絶望がいつも隣り合わせにあるからだ。光の後ろに影があるように、笑顔の裏には涙があり、希望の隣には諦めがある。

映画にはエンディングがあるが、現実の人生にエンディングはない。わかりやすい救いも、圧倒的な絶望もない。それなりに苦しい時間が、明日も明後日も続いていく。その中で小さな幸せを見つけること、光を少しずつ育てていくことが、「生きていく」ということなのだと思う。そういうエンディングだと、私は解釈した。だが、それが正解とは限らない。

私たちはいつも、「正しい答え」を探しすぎる。正しい答えが、ひとつしかないと思いすぎる。

“そんなの、しょうもない”

そう言って力なく笑った校長先生の声が、しつこく耳に残っている。しょうもない私たちは、しょうもない答え合わせをいつまで続けるのだろう。

人の数だけ答えがあるものを無理やり枠に嵌めても、痛みと共に歪むだけだ。そんなの、本当にしょうもない。「痛み」は、怪物の好物だ。怪物は、「幸福」を嫌う。増やしたいのは、果たしてどちらか。この問いだけは、正解がひとつであってほしい。それは、あまりに身勝手な願いだろうか。

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■怪物
監督:是枝裕和
脚本:坂元裕二
企画・プロデュース:川村元気、山田兼司
撮影:近藤龍人
照明:尾下栄治
美術:三ツ松けいこ
セットデザイン:徐賢先
録音:冨田和彦
衣装デザイン:黒澤和子
音楽:坂本龍一
出演:安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希、角田晃広、中村獅童、田中裕子ほか
配給:東宝、ギャガ

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。