【イニシェリン島の精霊】不条理との戦い方

ブラックユーモアを受け止められなかった

映画「イニシェリン島の精霊」は、パードリックとコルムという二人のおじさんが争い続ける。ただそれだけの、実にシンプルなストーリーである。しかし、そんなシンプルな構造の中に、本質的なメッセージが緻密に設計され、ブラックユーモアを交えながら表現されている。

彼らが暮らす島では、海の向こうの本土から砲弾の音が聞こえてくる。実は、パードリックとコルムの不和は、アイルランド内戦のメタファーともなっているのだ。同時に、彼らの生き方は、私たちの日常をもかえりみさせる。パードリックとコルム、自分はどちらなのだろうか。私も思わず考えてしまった。つまり、二人の対立構造は、マクロ視点でも、ミクロ視点でも捉えることができるのだ。

さらに動物や色などのメタファーや、神話性のある謎めいた存在により、作品はいっそう深みを増す。一つひとつのモチーフに、製作者たちのメッセージが確かにひそんでいるように感じられる。鑑賞後にチェックしたネット上にも、熱を持って語られた考察が数多く見られた。けれども私は、その熱量にどこか違和感を覚えてしまった。

あくまで私は、という話だけれど、どうやってもわかりあえないという絶えがたい不条理がエンタメへと昇華されていることが、どうしても受け止めきれなかったのだ。ブラックユーモアとわかってはいても、上手に笑えなくて苦しかった。

私が未熟なせいもあるだろう。作品の内容にふれながら、困惑した自分の思考と向き合ってみたい。

壮大な大自然と、争い続ける人間たち

舞台は、イニシェリン島という架空の島。アイルランドの西海岸沖に浮かぶ、のどかで平和な土地である。上映が始まってすぐ、スクリーンいっぱいに雄大な風景が広がった。山脈や岩のゴツゴツした感じや、青というよりはグレーに近い海の色、それらを大きく包む空の広さ。なんて美しい島なんだろう。その風景は、作品に対して身構えていた私を、安心させた。

と、思ったのも束の間。物語は、早々に不穏な空気が流れ始める。イニシェリン島で暮らす素朴でやさしいパードリックは、突然、親友コルムから絶交を告げられてしまうのだ。

「俺が何かしたなら教えてくれ」と、なんとか関係の修復に努めるパードリックに対し、コルムは「何もしていない。お前が嫌いになっただけだ」と突き放す。それどころか「これ以上話しかけてきたら自分の指を1本ずつ切り落とすぞ!」と宣言するのだ。

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S H A R E
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東京在住。コピーライター。好きな映画は「ファミリー・ゲーム/双子の天使」「魔女の宅急便」。