【スープとイデオロギー】拳銃ではなく鍋を手に、殺戮ではなくスープのレシピを

3万人が犠牲となった「済州島4・3事件」

本作を語る上で避けては通れない「済州島4・3事件」について、まずは触れたい。1948年4月3日、単独政権に反対する一部の島民が漢拏山(ハルラサン)を拠点に武装蜂起した。当時、この地を支配していた米軍政府は、武装隊を「北朝鮮と連携した共産主義者の暴徒」と事実を捻じ曲げて流言飛語を拡散。その後、大韓民国政府の誕生を境に、自らの正当性を示さんとする政権は、済州島内において討伐をはじめる。

海岸線から山側に向かい5キロ以上離れた地域は、「敵性区域」とみなされた。その範囲に出入りする者は無条件に射殺され、警察や政権部隊は村々を焼き尽くし、暴挙の限りを尽くしたという。非道な鎮圧作戦は1954年まで続き、およそ3万人もの人々が犠牲になった。

作中において、済州4・3研究所の人と済州島4・3事件の記憶について話し合う場面で、以下のような台詞が登場する。

「『死んだけど自分の息子だ』。そう言っただけで村に火をつけました」

遺体確認をした父親が「息子だ」と認めただけで、村人全員を「暴徒」だと決めつけ火を放つ。その残虐性に、言葉を失った。そもそも、亡くなった息子本人とてテロ行為を画策した暴徒だった証はない。もともとは、市民に与えられた正当な権利として、政治のあり方に異を唱え、デモや抗議活動をしたに過ぎなかったのではないだろうか。それなのに、当時の政府は命を奪うことで口を塞ぎ、国にとって不都合な真実を隠蔽した。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。