【帰らない日曜日】「書くこと」でしか魂は癒されなかった。

ひとつめの時代は、1924年。ジェーンは22歳で、ニヴン家のメイドをしている。その年の“Mothering Day”──イギリス中のメイドたちが年に一度の里帰りを許される〈母の日〉に、ジェーンの人生は変容した。孤児院育ちのジェーンには、会うべき母も帰るべき実家もない。そんなジェーンの元に、1本の電話が入る。「11時に正面玄関へ」。それは秘密の関係にあるシェリンガム家の後継者・ポールからの誘いだった。

ニヴン家、シェリンガム家、ホブデイ家は、昔から家族ぐるみで親密な付き合いを続けている。この祝日も、3家での昼食会が予定されていた。ポールとホブデイ家令嬢・エマとの婚約の前祝いを兼ねた、大事な席である。それに遅刻を決め込み、恋人のジェーンを自宅へ招待しようと彼は目論んだ。シェリンガム家の屋敷にジェーンが到着すると、蘭の花が飾られた豪奢な(しかし仄暗い)玄関ホールを通り、ポールは彼女を自室へ案内する。

ジェーンの前に跪くと、ポールは彼女の足を持ち上げて、靴を脱がし、ストッキングを下す。ブラウスを、肌着を、腕から抜き取る。1枚いちまい丁寧に衣服を取り去っていくその指先から、ジェーンへの愛情が伝わってくる。そしてふたりは、一糸纏わぬ姿になって思うさま愛し合う。

やや冗長と言えなくもないセックス・シーンが下世話に見えないのは、その逢瀬が刹那的なものだからだろう。この日は、ふたりが恋人でいられる最後の日だった。婚約者であるエマの存在以前に、ふたりのあいだには身分という壁が聳え立っている。かたやメイド、かたや名家の後継ぎだ。けっして赦されぬ恋であり、永遠に結ばれることのないふたり。

密会に背徳感がちらつきさえしないのは、ポールとエマの結婚に愛がないから──いわゆる政略結婚だからだ。そしてまた、エマは過去、ニヴン家の長男ジェームズと恋仲にあった。しかしジェームズとその弟フィリップ、そしてポールの兄ふたりが戦死したことから、遺された者同士が結婚する運びとなった。

つまりこの結婚は、ポールとエマに課せられた義務に過ぎない。

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S H A R E
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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。