多数ある真実、一つしかない現実
この映画では徹底して「なぜか?」が描かれない。
なぜロランスの発言は矛盾したり、論理的に破綻しているのか?
なぜロランスは孤立してしまったのか?
なぜラマは母親になることに対して不安を抱えているのか?
なぜラマはロランスの裁判を傍聴することにしたのか?
その背景には「真実は人の数だけある」「受け手の感じ方に委ねる」というような発想とは全く別種の「ただ一つの現実を突きつける」というような思想があるように思う。
受け手が「物語」として受け取れるように「なぜ?」に対する答えをそれとなく置いて、補助線を引くことはできたはずだ。でも、そうはしなかった。裁判記録の発言をそのまま採用して脚本を書いた。リアリティのあるフィクションではなく、ありのままの現実を突きつけることを選んだ。
加工調理されたフィクションはおいしい。えぐみの強い現実はまずい。それでも、想像と願望の皮を剥がし、灰汁を抜かずに、ありふれた現実をテーブルに載せた。受け手がそれを嫌おうが、まずいと言おうが、これが現実だと突きつけるために。
それこそが勇気を持って世界に一歩踏み込むということであり、「世界とはそういうものだ」と訳知り顔で、説明可能なものだけを「世界」という言葉に閉じ込めるような臆病な人間との決定的な違いである。
この原稿は、薄暗いバーでタバコの煙を全身に浴び、ストロベリーの香りのクラフトジンを飲みながら書いた。キウイとアメリカンチェリーをつまみつつ、隣に座っている男女の「次は身体のどこに穴をあけるか」という話に耳を傾けていると、思考とアルコールが混ざり合って、だんだん現実感がなくなっていく。
このありふれた現実を生きる、僕に物語はあるのだろうか。僕の物語は他者にとって理解可能なものだろうか。僕には何もわからない。証言台に立つまでわからないのかもしれない。
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■サントメール ある被告(原題:Saint Omer)
監督:アリス・ディオップ
脚本:アムリタ・ダヴィッド、マリー・ンディアイ
撮影:クレール・マトン
編集:アムリタ・ダヴィッド
製作:トゥフィク・アヤディ、クリストフ・バラル
出演:カイジ・カガメ、ガスラジー・マランダ、ヴァレリー・ドレヴィル、オーレリア・プティ、グザヴィエ・マリほか
配給:トランスフォーマー
(イラスト:Yuri Sung Illustration)