【郊外の鳥たち】都市開発が搾取するもの、社会と個人の連続性

この映画に限ったことではない、現実も同じく。ぼくたちの内側の地下室では、常に過去が流れている。杭州の下を流れる水のように。そしてときにそれらは、ひょっこりと顔を出す。双眼鏡を覗くとき、日記を読むとき、測量機を見るときのように、ふとしたきっかけで。思い出としてか、あるいはフラッシュバックか。ネガティヴにもポジティヴにも、ぼくたちは常に過去の流れる地下室の上に立っている。そして地盤が崩れれば、たちまち現在のぼくにも、未来のぼくにも影響を及ぼす。

エンドロールが流れる。数名の客が立ち上がり、さっさと劇場を後にする。ぼくはエンドロールまで見届けたい派だから、幕が締まり切るまで座ったままだ。やがて照明がつく。ジャケットを着込み、サコッシュを斜めがけする。出口のゴミ箱に、空になった珈琲の空き缶を捨てる。

シアター・イメージフォーラムを出ると、雨は上がっていた。渋谷の夜は、いつも明るい。10代から20代にかけて過ごした街は、その時分から再開発が進んでいた。JRと銀座線は移動し、東横線と副都心線は地下へ押し込まれた。渋谷ヒカリエに繋がる巨大な駅は、まるで手塚治虫がかつて描いたような近未来都市の要塞みたいな様相をしている。109のロゴは、スタイリッシュになった。そしてぼくもまた、渋谷でパンケーキを食べるのではなく、飲み屋やバーで酒を飲むようになった。変わらないのは尋常じゃない数の人間くらい。

変わりゆく街並みには、しかしところどころに青春時代の記憶と変わらぬ景色も共存している。それこそ、シアター・イメージフォーラムのように。あのちいさな劇場で観た映画は、ぼくの骨肉となり、感性をかたち作った。それは今もなお、ぼくの源流として、ぼくの心の底のその下で、静かに流れ続けている。この映画もまた、やがてその源流に混ざっていくのだろう。

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■郊外の鳥たち(原題:郊区的鳥、英題:SUBURBAN BIRDS)
監督:チウ・ション
プロデューサー:ホアン・マオチャン、チェン・ジンスー、マー・ジュン、ジャン・ジャオウェイ
コプロデューサー:ユー・シアオイー
音楽:シアオ・ホー
撮影:シュー・ランジュン
編集:ジン・ディー、リアオ・チンスン
美術:ユー・ズーヤン
撮影台本:ウー・シンシア
出演:メイソン・リー、ゴン・ズーハン、ホアン・ルー、チエン・シュエンイー、シュー・シュオ、チェン・ジーハオ、チェン・イーハオ、シュー・チョンフイ、シアオ・シアオ、ドン・ジン、ワン・シンユーほか
配給:リアリーライクフィルムズ、ムービー・アクト・プロジェクト

*1:「郊外の鳥たち」公式パンフレット、奥原智子(字幕翻訳家)「映画の背景──中国の呼称文化と拆(チャイ)のある風景」の項によると、中国ではあだ名で呼び合うことは一般的であるらしい。体型を揶揄する意図はなく、本人も特段気にする描写は見られなかった。

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。