【郊外の鳥たち】都市開発が搾取するもの、社会と個人の連続性

osanai 郊外の鳥たち

地盤沈下が進む地方都市の地質調査に訪ねたハオが、廃校となった小学校の机から、自分と同じ名前の男の子の日記を見つける。記録されていたのは、都市開発が進む街で日常を楽しんでいる子どもたちの様子だった。
監督を務めたのは、2013年から短編作品を中心に手掛けてきたチウ・ション。本作にて長編デビューとなる。

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土曜、昼間。猫のケージを組み立てる。天気は雨、分厚い雲が都会に蓋。夕方、映画を観に渋谷へ。紫外線アレルギーだから、日焼け止めを塗る。シューズクローゼットで長靴を履く。エレベーターに乗ってマンションの外に出た瞬間、傘を忘れたことに気づく。夫にLINE、「玄関の外に傘を出しといて」。置かれていたのはよりによって、このあいだ鳩のフンを食らったやつ。捨てろよ、安いんだから。胸中で毒づきながら、「ありがとう」とフリックする。

濡れた歩道橋、黒く光る道路。水捌けの悪い渋谷は、雨が降るといっそう歩きにくい。ビルや駅から吐き出された大量の人間が、あっちを目指し、こっちを目指す。1つの傘にぎゅうぎゅうで入る3人組の女子高生、鞄を頭上に乗せて走るサラリーマン、就活中っぽいひっつめ髪の大学生。ヒールが痛そう。宮益坂を登り路地に入ると、シアター・イメージフォーラムに到着した。シアター・イメージフォーラムに来たのは、何年ぶりだろう。

上映開始から5分ほど遅れていたので、劇場はすでに暗い。予告動画の明かりを頼りに、予約していた左端の席へ着く。初日だからそこそこ混んでいるけど、前の座席には人がいなかった。ラッキー。これならストレスなく鑑賞できる。ふいに照明がもう一段階、落とされる。同時に幕が動く──外側ではなく、内側に。

え、なんで?

そう思った瞬間、ここにいるぼくが本当に現在のぼくなのか、シアター・イメージフォーラムは本当にかつて通ったあのシアター・イメージフォーラムなのか、雨の渋谷は本当に思春期に遊び回っていた渋谷なのか、なにもかもがわからなくなった。

映画「郊外の鳥たち」のアスペクト比は4:3。これは昔の映画で使われていた比率だ。「ゴッド・ファーザー」だとか「ローマの休日」だとか、古い作品のスタンダードサイズ。ワイドスクリーンが主流となっている現代では、いつもなら幕は外側に広がる。アラサー世代のぼくにとっては、それが当然だった。

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S H A R E
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ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。