【ボーンズ アンド オール】生きるということはすなわち、だれかを損ない続けることなのかもしれない

その旅の途中、ティモシー・シャラメ演じるリーと運命的な出会いを果たす。スーパーマーケットで目が合った瞬間、マレンとリーはすぐに互いが「同族(*1)」だと気付いた。赤いハイライトを入れた髪と、身体中に彫られたタトゥー。派手で粗野な印象のリーは、チンピラまがいの男を殺害して捕食する。

「食べたいならあっちにある」

自分を追って駐車場へ出てきたマレンに、リーはそっけなくそう促す。今まで「同族」の存在すら知らなかったマレンにとって、リーは生まれて初めて出会う2人目の仲間だ。それも、自分と同世代の。自らに関心を寄せるマレンに、リーは「食べた直後はだれとも口を聞きたくない」とつぶやく。先ほどまでの狂暴さとは打って変わった苦々しい口ぶりにシンパシーを抱いたマレンは、リーに「私の力になって」と頼み込む。そうして若きアウトサイダーなふたりの、ラブロマンスとロードムービーが始まる。

“こんな人間は、世界に自分ひとりきりかもしれない。”

社会的マイノリティとしてこの世に生を受けた者なら一度は覚えるであろう、凄絶な孤独と絶望。18歳の、自分が何者かもわからず、マイノリティ性を受け容れることもできずただ戸惑うしかない少女に、ぼく自身を投影せずにはいられなかった。

ぼくは日本と韓国とロシアの3カ国にルーツを持ち、出生時の戸籍は韓国で、書類上では元在日コリアンに当たり、おまけになぜだか自らを男とも女とも思えず、加えて性別問わず恋に落ち、欲情する人間である。そして両親は、暴力を振るう人たちだった。

国籍が原因でいじめに遭い、中学の途中で転校して日本名で生活し始めるようになってからは、「バレたら死ぬんじゃないか」と昼夜怯えていた。“善い韓国人も悪い韓国人も死ね”と書いたプラカードを持って四条烏丸を練り歩く人々に、いつか自分は殺されるのではないか。

初潮が来たあの日、下着のクロッチにべっとりとついた茶色い血液を見た途端、心臓がすうっとつめたくなっていく感覚を、いまだに生々しく覚えている。クラスの男子がこそこそ回し読みしている下世話なグラビア雑誌を、放課後だれもいない教室でこっそりと所有者の引き出しから持ち出した。性欲を煽るためだけに撮影された水着姿の女の子の写真を、食い入るように眺めていたあの時期。「同性」であるはずのこの子の裸を見たい渇望と、他者を一方的に消費する己の加害性が、ごちゃごちゃになって自らを醜悪な存在たらしめた。

罵声を浴びせ、こぶしをふるい、木刀で肉を打つ鬼のような父親。家庭内の平穏を保つため、見て見ぬふりを貫く母親。「浪人したら死刑やからな」と凄む父の声が、鼓膜にこびりついて今もなお剥がれ落ちてくれない。

そうしたすべてが、ぼくを世界から弾き出した。世界から徹底的に拒絶されている自分は、死んだほうがましなのではないか。存在そのものがだれかを不快にさせるだけならば、この世界から一刻も早く退場すべきなのではないか。それが害悪でしかない自分にできる、ただひとつの世界への貢献なんじゃないか。

1 2 3 4
S H A R E
  • URLをコピーしました!

text by

ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。