時代がどんなに変わろうとも作品は永遠に生き残る
ブラット・ピットが演じるのは、サイレント映画時代のスター、ジャック・コンラッド。サイレント映画市場を築いた男は、トーキー映画に移行するとその人気は失速。サイレント時代には拍手喝采だった、愛の誓いを交わすシーンも嘲笑されてしまい、仕事のオファーも代役ばかり。
そんな日々に葛藤していたジャックはある日、懇意にしていたジャーナリストに「あなたの時代は終わった」と断言されてしまう。
アメリカンドリームを掴んだネリーとマニーも、異なる理由で、時代から置き去りにされていく。
これがハリウッドの現実か。後に、ラストシーンの伏線へと繋がっていく。
本作最大の山場とされるラストシーンについての私なりの解釈
時代は進むこと1950年、映画業界から離れざるを得なかったマニーは、再びLAを訪れる。
劇場へと足を運び、トーキー時代への移り変わりを描く映画「雨に唄えば」を鑑賞する。これまで映画業界の前線にいた自分が、いち観客として劇場にいる。輝かしき過去の自分と、現在の自分のギャップ。マニーは虚無感でいっぱいになり、落涙する。
徐々に複数の色が溶けて、複雑に混ざり合っていく映像が映し出される。同時に、これまでの映画史に残る象徴的な過去名作のモンタージュが現れる。
それはまるで白黒からカラーに、サイレントからトーキーに移り変わるなど、様々な時代背景や技術が複雑に絡み合って映画が構成されていることを表現しているのだと私は思った。
ラストにかけてはネリーのデビューシーンで涙を一滴流すシーンが再度白黒で映し出され、そこに少しずつ色が足されていく。様々なモンタージュや音が複雑に絡まり合いながら、激しく、何かの「作品」のような映像と化す。
マニーが生きたハリウッド黄金期があったからこそ、映画業界が未来へ続いていく。それをマニー自身が改めて信じたのではないか?と感じた。サイレント時代を作り上げたジャックやネリーの時代が終わっても、一つの作品として、映画史に刻まれ、永遠に継承されていくことを示しているのではないだろうか。その証拠に、劇中でジャックが演じた愛の誓いを交わすシーンは、未来の作品の中で「映画の歴史のかけら」として生きていた。