【ガンニバル】絶対的な「わかりあえなさ」に出会った時、私たちは簡単に無力になる

怖さの中心が「人」にある

第1話の段階で“あの人”よりも怖さを感じたのは、阿川の娘であるましろだ。

無表情な上に言葉数も少なく、何を考えているのかがわからない。常にぼーっとしているのか、あるいは何かを見つめているのか。この子にしか見えていない何かがいるのではないか、という妄想が怖さを掻き立てるのだ。ましろが無表情で言葉数が少ない理由は後に明かされることになるが、この「何を考えているのかわからない」怖さが「ガンニバル」の方向性を決定づけているように感じる。

怖さの中心は話が進むごとに変遷しつつも、怖さの中心は常に、「人」にあり続けるのだ。

何を考えているのかがわからない怖さの中心は、次第にましろから後藤家の人々、とりわけ次期当主の後藤恵介へと移動してゆく。恵介は血気盛んな後藤家を、なるべくことを荒立てないように努めている。そのせいもあって、仲間と対立することもあるのだが、それでも物事を穏便に進めたがる。そのため、後藤家を疑う阿川にも理解のある様子で接するのだ。ここに恵介の怖さを感じた。

阿川からしたらほぼ確実に恵介はクロだ。阿川の常識(=視聴者の常識)が当てはまらない異常性を恵介は抱えている。ところが、恵介は全く話の通じない異常者ではない。つまり、恵介は、私たちとは隔たった別世界の常識を有しているようにも感じられないのだ。あくまで阿川の捜査に協力する姿勢が見えるのも、そう感じさせるひとつの要因だろう。

なぜ恵介が、このように振る舞うのかわからない。
何を考えているのか、信用して良いのか騙されているのかもわからない。恵介が何を考えているのかがわからないという点が、物語全般の怖さにつながっているのだと私は思う。

そして、最終話。

恵介を含む後藤家の過去が明かされることで、恵介の行動原理のわからなさの多くは解消される。わからなさがなくなることによって、恵介の怖さはなくなったのだろうか。確かに、何を考えているのかがわからないという怖さは薄まったかもしれない。

しかし、異なる怖さが浮上するのだ。

自身の異常性を理解しながら自分の意志で行動している、という怖さが。

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S H A R E
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生活の中で感じたことや考えたことを残しておくのが好きな大学生。その過程を「あの日の交差点」というPodcastやWebサイトにアーカイブしています。