【母性】幻想にすがるのではなく、自らの内側で育むもの──私にとっての「母性」とは

愛されないことは、生物学的な“死”を連想させるほどの恐怖である。愛されない自分は、いつか捨てられるのではないか。そんな怯えを押し殺して眠る夜は、長く、暗く、子どもの心に影を落とす。

ルミ子には「母性」が欠けていた。その事実を受け入れられない清佳は、ある日とうとう壊れた。娘が壊れてはじめて、ルミ子は自身の過ちに気づく。しかし、ほとんどの物事がそうであるように、「壊れてから気づくのでは遅い」のだ。「壊れた」ものが「それらしく」直ることはあっても、完全に「元通り」になることはない。一度入ったヒビは完全には塞がらず、そこから少しずつ大切な何かがこぼれ落ちていく。

愛されようと必死になる清佳。愛し方がわからないルミ子。そんな二人の確執を知りながら、「何もしなかった」父親もまた、娘を壊したひとりといえよう。

「愛してる」という言葉を隠れ蓑にすれば、どんな行為も許される。そう考える人間特有の歪みと醜さが、本作では微細にわたり描き出されていた。

ルミ子は、清佳を「愛能う限り大切に育ててきた」のではない。周囲からそう見られるよう気を配っていただけで、中身は空っぽだった。体裁は、いくらでも取り繕える。でも、それでは届かない。肝心な我が子に、何ひとつ、届かないのだ。

「母性」とは何か。その問いの答えは、人により異なるだろう。映画終盤、清佳が語る長文の台詞。あれこそが、本作が伝えたかった肝であり、原作者の湊かなえが世に放った問いかけなのだと感じた。

ふわふわとやさしい、甘い香りだけをまとった母性なんて、私は知らない。幻想の「母性」にすがるのではなく、自らの内側で「母性」を育てる。不要な痛みを断ち切るには、おそらくそれしか術がない。清佳がその覚悟を持ち合わせていることを、切実に願った。愛されずに育った人間も、我が子を愛せる。その可能性を、誰にも諦めてほしくない。

愛されずに育った痛みは、簡単には癒えない。でも、「愛さなかった」のではなく、「愛せなかった」のだとしたら。受けた痛みは変わらずとも、「don’t」ではなく「can’t」だったのだと思えば、ほんの少しだけ救われる心がある。それは、あまりにかすかな光で、必死に目を凝らさなければ見えないほどに、儚いものだった。消えてしまわぬよう、強くその光を掴んだ。その瞬間、母が私に落とした影がわずかに薄まり、私のなかの「母性」が、静かに頬を濡らした。

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■母性
監督:廣木隆一
原作:湊かなえ
脚本:堀泉杏
音楽:コトリンゴ
撮影:鍋島淳裕
照明:北岡孝文
録音:深田晃
美術:丸尾知行
装飾:藤田徹
編集:野木稔
主題歌:JUJU「花」
出演:戸田恵梨香、永野芽郁、三浦誠己、中村ゆり、山下リオ、吹越満、高畑淳子、大地真央ほか
配給:ワーナー・ブラザース映画

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。