【窓辺にて】「手放す」行為の先にある愛すべき余白と、人生のおかしみ、ままならなさについて

もしかすると彼は、ただ臆病だっただけなのかもしれない。優しく賢いからこそ、他者と明確な境界線を引く。だがそれは、恐れの表れでもある。「誰かを理解したって思うから失望する」と言った市川は、「失望した」経験が何度もあるのだろう。そういう経験を繰り返すうち、「人は理解できないもの」という考えに行き着いたのではないだろうか。結果、人の心が移ろうことに、鈍感になってしまったのではないか。なんとなく、そんな気がした。

「窓辺にて」は、ゆったりと流れるような物語の中に、人の醜さ、おかしみ、ままならない人生の断片が凝縮されていた。そして、窓辺で交わされる二人のやり取りは、愛すべき余白にあふれていた。グラスに反射させた光を指に当て、「光の指輪」と呟いて微笑む留亜。そんな彼女を見守る市川の瞳は、どこまでも優しかった。

本作のテーマは、作中に登場する留亜の小説『ラ・フランス』と同じく、「手放す」ことにある。手放すと、余白ができる。そうすると、新たなものが手に入る。そうして、また手放す。市川も留亜も、ほかの登場人物たちも、みんな何かを手に入れては、何かを手放していた。望む、望まないに関わらず。

繊細で感情の起伏が激しい留亜と、冷静で感情の起伏が緩やかな市川。真反対にいる二人が、ままならない己の感情や「手放したもの」について話し合う。その会話があれほどまでに心地よかったのは、作品から押し付けの匂いを一切感じなかったからだ。じんわり温かい窓辺の光を浴びると、心がほぐれる。そんなさりげないやさしさが、本作にはあった。

映画「窓辺にて」の鑑賞後、喫茶店でパフェを食べた。作中に登場するフルーツパフェが、あまりにおいしそうだったからだ。私が訪れた喫茶店にはフルーツパフェがなかったため、抹茶パフェを注文した。抹茶の苦味とクリームの甘さが、なんだか人生みたいだな、と大袈裟なことを考えた。甘いだけの人生は味気なく、苦いばかりの人生は苦しい。いつの世も、人は欲張りな生き物だ。

パフェを食べながら、つい最近「手放した」もののことを思った。胸がずきりと痛んだけれど、手放した直後に比べると、いくらか痛みは和らいでいた。

口の中に残る甘さと苦味を、珈琲で薄めた。その喫茶店に窓がなかったことだけが、唯一の心残りだ。近いうちに、窓のある喫茶店に行こう。願わくば、フルーツパフェのある喫茶店に。

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■窓辺にて
監督:今泉力哉
脚本:今泉力哉
音楽:池永正二
プロデューサー:蓮見智威、三好保洋
撮影:四宮秀俊
照明:秋山恵二郎
録音:弥栄裕樹
美術:中村哲太郎
主題歌:スカート「窓辺にて」
出演:稲垣吾郎、中村ゆり、玉城ティナ、若葉竜也、志田未来、倉悠貴、穂志もえか、佐々木詩音、斉藤陽一郎、松金よね子ほか
配給:東京テアトル

(イラスト:Yuri Sung Illustration

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。