「モ」と名乗る17歳の少年は、イランを脱出後、2年間ギリシャに滞在している。彼は、難民キャンプでの生活の厳しさを淡々と語る。
「キャンプでの支給は月に50ユーロだけ。そんな額で暮らせるわけないのに。政府の援助はないから犯罪に手を染めるしかない」
続けて、彼は言った。
「できれば罪を犯さず学校に行きたい」
モは、腕に「人生は戦争」とタトゥーを入れた。彼らにとって、この言葉は比喩ではなく真実である。戦争に翻弄され、居場所を失い、新天地でも穏やかな生活は得られない。犯罪はたしかに“許されざる行為”だが、犯罪に手を染めなければ生きられない若者を生み出した社会の罪は、一体誰が償ってくれるというのだろう。「戦争」という大罪には大義名分を。生きるための「盗み」や「脱走」には死罪を。そんな世界は、どう考えても狂っている。
本来「守られるべき」存在の少年たちは、夢を叶えるために「地雷あり」の看板が立つ森の中にさえ分け入る。「地雷があるかもしれない」土地に足を踏み入れる際、彼らは少しも躊躇わない。その姿が、母国での生活の過酷さを如実に物語っている。
彼らの旅路にとって最難関となる国境警備隊は、不法入国者に対し容赦なく暴力を振るう。銃を発砲し、犬をけしかけ、重症を負わせるほどの虐待行為を加える。ムスタファという少年は、警察から拷問を受け腕を骨折した。同じくジャノとシロの兄弟も、国境警備隊から執拗な暴行を受けた。ムハンマドは、警察に携帯電話などの貴重品を破壊された。ムスタファは17歳、ジャノは18歳、弟のシロは15歳、ムハンマドに至っては14歳である。
私の長男は、今年で15歳を迎える。長男は昨夜、私が作った海鮮鍋を食べ、小説を読み、私のパートナーとオセロをした後、温かいベッドでぐっすりと眠った。私たちにとっての「日常」を、「夢」として語る子どもたちがいる。その不条理さに怒りが湧く。悲しみでも、やるせなさでもない。心の底から、たぎるような怒りが込み上げる。大人が勝手にはじめた争いのせいで、子どもの未来が絶たれる。あと何度同じ過ちを繰り返せば、人類は戦争の愚かさに気づくのだろう。
息子たちが彼らのようなゲームに挑まなければならない未来なんて、想像したくもない。そんな未来のために、大事に育ててきたわけじゃない。作中に登場する少年たちの親の胸中を思うと、堪らない気持ちになる。