【山女】我々は“モノ”ではなく、尊ばれるべき個人なのだ。

おそらくぼくは、かつて凛にとても近しい場所に立っていた。帰化をする前、まだ韓国籍だったとき、ぼくはいわゆる在日コリアン社会に所属させられていた。させられていた、というのはそれが在日に生まれついたゆえ自動的にそうなっていたというだけの話であり、ぼくが望んで所属したわけではないからだ。

現在の韓国社会では、すくなくとも若者のあいだではフェミニズムが盛んになってきている。対して陸の孤島のような在日社会は、多様性などとは縁遠い。もしかしたら在日社会全体を総じてそのように表現することは適切でなくなっているかもしれないし、正直そうなっていてほしいとも願う。だけど肌感では、ぼくの周囲では、強烈なミソジニーとジェンダー・ロールが儒教の名の下に正当化されている環境だった、ということは当事者として申し添えておく。

ぼくが生まれたときは、ぼくの祖父が家長だった。日本ふうに言い表すのならば、ぼくは本家筋の子に当たる。本家では長らく女児が生まれず、父の代には「女性」がいない。分家にもどういうわけだか、圧倒的に男性が多い。そしてやっと生まれた何十年ぶりかの女児がぼくだったのだが、ぼくの代でも「女性」はぼくのみだった。

祖母や母、叔母や伯母たち──つまり「嫁」を除く本家筋の親族は全員「男性」で、それゆえに一族のミソジニーはぼくに集中した。あの小さな集団の中で、もっとも「下」だったのは、間違いなくぼくだった。

在日コリアンは現代でもなお、差別と迫害の対象だ。ヘイトスピーチやヘイトクライムで命の危機に晒されているような、そういう民族。企業への就職は「日本人」と比べて未だ困難であり、だからこそ皆「子をなんとしてでも士業か医者に」と躍起になる。社会的地位と収入が高い職業を子孫に期待するのはつまり、血縁の存続が目的なんだろう。彼ら(あえて「男性」のみを指す代名詞を用いる)の言う“民族の誇り”とやらをかけて、血を絶やすわけにはいかない。庄吉に希望を託す伊兵衛のように。一部の人間にとって一族の名誉回復は、たとえ達成が自らの死後であっても願わずにはいられないものらしい。

父もまた、ぼくと双子の弟に異様なまでの期待をかけた。良い大学に入れるため木刀で容赦なく子の体を打つあの男は、まさに鬼だった。とにかく勉強しろ、それ以外は何もしなくていい。耳が腐って落ちそうなほどにそう言い聞かせるくせして、父はいつもぼくにだけ酌をさせた。弟に酌をさせる/求めるを場面など、ついぞ見たことがない。

本家に顔を出すときは、「女」たちの手伝いを命じた。包丁を握ったことさえないのを、だれよりも知っていたのに。当然ながら料理を運ぶ手は覚束なく、たびたび盆ごと料理をひっくり返した。すると父は、親戚の面前でぼくを怒鳴りつけた。できることがなく台所でぼんやり突っ立っているぼくに、祖母も母もおばたちもため息をついた。座る間もなく忙しく動き回る女たちをよそに、男たちはひっくり返って昼間から酒を飲んでいた。

様々な理不尽とダブルバインドで立ち往生していた幼少期、それを言語化する術こそ持たなかったものの、自分が「女」であるがゆえに受ける仕打ちであるということだけははっきりと理解していた。

1 2 3 4 5 6
S H A R E
  • URLをコピーしました!

text by

ライター。修士(学術)、ジェンダー論専攻。ノンバイナリー(they/them)/日韓露ミックス。教育虐待サバイバー。ヤケド注意の50℃な裸の心を書く。