しばらくA氏の執着は続いた。
ある日パワハラに耐えきれなくなり、直属の上司に相談した。上司は理解力もあり動いてくれて、人事にまで話は広がり、社内の女性全員に事情聴取が入った。案の定、A氏は社内の女性数人にも手を出していたことがわかった。
しかし、A氏は優秀な人材だったので、会社もそう簡単には切らなかった。「セクハラ」よりも、「会社への貢献度」が重視されたのだ。
その頃、まさにアメリカで「#MeToo」運動が広まっていた。だが当時の社内で、「#MeToo」と行動する人はいなかった。みな、自らの保身に走ったからだ。
残念ながら、このような絶望は、一度だけではない。
「私が女性だから優遇してくれていたのかな」とガッカリしたことは、幾度となくあった。
彼らは私の能力を評価してくれていたのではなかった。「性」の対象として、「お気に入り」として。そこで感じた恐怖と絶望は、二度と味わいたくない。
「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」のマリア・シュラーダー監督は「女性主導のチームが当たり前の世界になってほしい」という想いを込めて、この作品を作ったそうだ。
作中でも描かれていたように、「セクハラ被害を受けた」と声を上げるのは簡単なことではない。「あなたが誘惑したんじゃないの?」という二次被害に直面することも、多々ある。
「私が女性じゃなかったら、適正に評価してもらえたのかな」と何度思ったことだろう。
女性が、本当の意味で評価される時代は来るのだろうか。
被害者たちが「性の対象として見るな!」と加害者に訴えたところで、相手を変えることは容易ではない。逆に、攻撃されることだってある。