【渇水】その流れに、意志はあるか

いきなり来られても困ります

今回鑑賞したのは、映画「渇水」。とある地方都市の生活用水の困窮と、そこで暮らす人々の心の渇きにせまる、ひと夏の物語だ。常に水をそばに置いておかないと落ち着かない私にとっては、鑑賞前から何か縁を感じるような、観なくてはならないと直感するような作品だった。

舞台は群馬県前橋市。厳しい暑さがつづき、県内全域で給水制限が発令されていた。水道局員の岩切は、水道料金を滞納している家を訪問してまわる日々をおくっている。

滞納者がその場で支払えないということがわかると、岩切は後輩の木戸に「停水執行」と告げる。停水とは、水道をとめること。木戸が水栓をきゅっと閉めると、その家の蛇口からは水が出なくなる。

水をとめられた者は皆、とまどい、怒り、反発する。「いきなり来られても困るんです」「意味わかんねぇ」と。

焦るだろう。なければ生死に関わるものを、目の前で取り上げられてしまうのだから。それも、しばらく雨が降っていない酷暑のことである。

そんな彼らに対し、岩切は容赦ない。「いきなりじゃありません。何度も通知させてもらいました」「規則ですから」と冷たく言い放ち、停水を執行する。岩切の渇いた目は、一切の情をどこかに捨ててきたようで、冷や汗が出るような思いがした。と同時に、どこか哀しみが宿っているようにも感じられて、自分の内側がジリジリとした。

たしかに滞納者たちの家の郵便受けからは、水道局からの通知書が飛び出している。こうなる前に改善のチャンスはあったのに、気づかなかった、もしくは気づかないふりをしていたのかもしれない。いや、通知なんて来なくてもわかっていたけれど、彼らには彼らの事情があって、そう簡単に支払えるものじゃなかったのかもしれない。しかし、理由はどうあれ、時は流れ続けるし、郵便受けには通知書がたまっていく。

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S H A R E
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東京在住。コピーライター。好きな映画は「ファミリー・ゲーム/双子の天使」「魔女の宅急便」。