【ザ・ホエール】過去に嘲笑った存在に、未来の自分がなるかもしれない。「if」の想像力を手放す危うさについて

止めようがない過食行為は、緩やかな自傷行為だ。「太る」ことは、一定の限度を超えると体に大きな負荷がかかる。血管が狭まり、関節が重みで軋み、血圧も上昇する。「摂食障害」の一種である「拒食症」の場合、痩せ細る姿を見て周囲はあからさまに心配する。本来、「過食」もそれと同じく治療が必要な症例であるのだが、その理解は得にくい。

命を賭して最期の時を娘に捧げるチャーリーの姿は、懺悔そのものに見えた。チャーリーは本当は、「治療するお金がなかった」わけではない。少しでも多くの遺産を娘のエリーに残そうと、治療を拒否していたに過ぎなかった。無意識化で、チャーリーの中には「これ以上生きたくない」という思いもあったのかもしれない。それでも、チャーリーが娘に向ける眼差し、愛情は本物だった。

怒りの感情を制御しきれず、周囲に悪辣な態度を取り続けるエリーの姿を見ても、チャーリーは彼女を否定せず、同じ言葉をかけ続けた。

「君は素晴らしい」

チャーリーは、娘の存在そのものを心から肯定していた。エリーに「おぞましい容姿」と言われようとも、騙し討ちで睡眠薬を飲まされようとも、チャーリーは彼女の良心を信じ、容認の態度を崩さなかった。

エリーが、父親にサンドイッチを作るシーンがある。その際、エリーは「ハムとマヨネーズ抜きで」野菜のサンドイッチを作った。そこに隠れるエリーの心情をチャーリーは見逃さない。これ以上、父親の体重が増えたら命に関わる。エリーはそれを肌で感じていたのだろう。どんなに悪態をついても、心の奥底では「死なないでほしい」と思っている。そんな我が子の思いやりが、チャーリーは嬉しかったのだ。

ラストシーンでエリーが放った一言が、エリーが口にしたどの言葉より、本音であり真実だと思った。チャーリーが治療を受け、生きるために最善を尽くすことを周囲は望んでいた。しかし、チャーリーにはそれ以上に優先したいことがあった。

頑なに決意してしまった人の心を動かすのは、困難を極める。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729