【ザ・ホエール】過去に嘲笑った存在に、未来の自分がなるかもしれない。「if」の想像力を手放す危うさについて

272キロという体重で生活するのがどれほど困難なものか、この映画を観るまでは想像もつかなかった。チャーリーは、歩行器なしでは移動もままならず、床に落ちたものを屈んで取ることさえできない。スマホを床に落としたら「拾う」、高い場所にあるものを取りたければ「背伸びをする」、風呂場で「全身を苦もなく洗える」。これらの動きが可能な私は、チャーリーが日常的に抱える苦痛を完全に理解することは難しい。だが、本作を通して、その一端を知った。

これはアイダホ州の閉ざされたアパートの中で起こる話ですが、同じことはアメリカ中で、いや、世界中で起きています。社会は肥満という病気を抱える人たちに対して、とてもアンフェアな形で差別をします。

映画「ザ・ホエール」公式パンフレットより

チャーリー役を演じた、ブレンダン・フレイザーの言葉である。

「肥満」の原因はさまざまあるが、チャーリーの場合は「過食性障害」が引き起こした症状であり、本来適切な治療を必要とする病である(*1)。過食性障害の場合、意図的に嘔吐したり、下剤や利尿薬を用いて過食の埋め合わせをする「排出行動」は見られない。そのため、過食回数が増えるほど体重は増加し、体が思うように動かせなくなる。必然的に慢性的な運動不足に陥り、消費カロリーが減ることで余計に体重は増える。負のスパイラルに陥り苦しむ患者の多くは、蔑みや好奇の目に晒されながら生きざるを得ない。

チャーリーは、結婚後に他の人を愛し、娘と妻を置いて家を出ている。その行為は、たしかに酷い裏切りで、エリーの怒りはもっともだろう。挙句、家族を捨ててまで添い遂げようとしたパートナーは、心を病み命を落とした。誤解を恐れず言えば、チャーリーは「最愛」と「最愛」を天秤にかけ、片方を選んだ結果、両方を失ったのだ。その絶望の深さは、到底計り知れない。

チャーリーが過食性障害に陥ったのは、パートナーの死がきっかけだった。最愛の人を失った悲しみは、チャーリーの心に大きな穴を空けた。その穴を塞ぐかのように一心不乱に食べ物を貪るうち、気がつけば取り返しのつかないところまできてしまったのだろう。塞がらない心の穴を食べ物で埋めようとする人は、存外多い。

寂しいから食べ物を詰め込む。体が覚える満腹感で空虚な気持ちを誤魔化そうとする。大切な何かを失った人がそこに依存を見出すのは、決して不思議なことではない。人は往々にして裏切るし、いつかは死ぬ。でも、食べ物は裏切らない。だから、そこにすがる。でも、本来求めているモノとは違うモノで満たしても、満足を得られるのは一瞬だ。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)刊行。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評・著者インタビュー『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『婦人公論』|ほか、小説やコラムを執筆。海と珈琲と二人の息子を愛しています。

エッセイ集『いつかみんなでごはんを——解離性同一性障害者の日常』(柏書房)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155729