成長を重ねたサミーは、進学後もますます映画作りに没頭する。そんなある日、母方の祖母が逝去した。実母の死にショックを受け、塞ぎ込む妻を見かねて、父はサミーに頼み事をする。
「先日のキャンプの映像を使って、お母さんを元気づける映画をつくってくれ」
サミーは、本来優先したかった映画の撮影を先延ばしにして、父に頼まれた作品づくりに取り掛かる。だが、撮影したフィルムの中身を精査している最中、サミーは母のある“秘密”に気づく。
母の秘密は、「誰にも言えない」類のものだった。そのため、サミーは長らく独りきりで葛藤を抱える。その後、家族は父親の栄転を機にカリフォルニアに引っ越しをするが、サミーとサミーの母・ミシェルは新しい環境に馴染めず、家族の基盤が大きく揺らぎはじめる。
「秘密」という荷物は、とても重い。子どもが独りで抱えるなら尚更だ。人は嘘をつく生き物だが、カメラは嘘をつかない。カメラを通した映像が暴いた真実は、サミーにとって苦しいものだった。そのことが原因で、サミーは一時カメラを手放す。だが、とあるきっかけで再びカメラを手にしたサミーは、「創作」が人に与える光と闇を思い知る。
“芸術は麻薬だ。俺たちはそのジャンキーなんだよ”
作中、祖母の兄がサミーに放った言葉だ。創作は素晴らしい。だが、同時に痛みも伴う。私自身、物書きとして創作に携わるひとりであるため、日頃から身にしみてそれを感じている。何かを創ることは、同時に何かを壊すことでもある。それでも、やめられない。痛くても、たとえ誰かを傷つけたとしても、この手は止まらず明けても暮れてもパソコンのキーを叩き続ける。サミーが涙を流しながらも、カメラを構え続けたのと同じように。まさに、“ジャンキー”である。