【フェイブルマンズ】映画を愛した少年が、家族との葛藤と絆を経て辿り着いた夢の扉

つくり手の想いは、必ずしも願った形で万人に届くわけじゃない。意図しない形で届く場合もあれば、取り返しのつかない傷を与えることもある。つくる側は、常にその覚悟を携えねばならない。そうまでして創作を続ける者の根底にあるのは、どこまでも「創作が好き」という純粋な想いであろう。

夢中で映画を撮り続けるサミーの姿を見ながら、離れて暮らす息子のことを思い出していた。バスケが好きで、暗くなっても練習をやめない長男。兄につられて毎日ボールを触っているうちに、3歳にして小学生ゴールにシュートを決めたチビ。「好き」は最強なのだと、彼らを見ているとわかる。強制された努力ではなく、内側からあふれ出す「やりたい」。「やらずにはいられない」情熱。それこそが本来、人の生きる糧であり、喜びなのだと思う。

フェイブルマン家は、決して順風満帆な家族ではなかった。舵を失った船のように嵐の中を彷徨い、親も子どもも涙を流した夜は数えきれないほどあったろう。それでも、サミー少年は両親との葛藤と絆を抱き、自身の夢を叶えた。その先の未来にあるのが、私たちがよく知る名作の数々なのだと思うと、否が応でも胸は高鳴る。

自身でこしらえたタイムマシンの旅は、スピルバーグにどんな贈り物をもたらしたのだろう。撮影する楽しさを、作品を生み出す高揚と、観客に披露する緊張感を、家族への愛と共にフィルムに閉じ込める作業は、この上ない幸福と切なさを伴ったに違いない。

「フェイブルマンズ」は、家族の物語であり、今を生きるすべての人たちへのメッセージでもあると感じた。

今のあなたは、何を軸に生きていますか。その生き方は、あなたが望んだものですか。あなたの中にある「やりたい」から、目を逸らしていませんか。

そう、スピルバーグから問われた気がした。

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S H A R E
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エッセイスト/ライター。PHPスペシャルにエッセイを寄稿。書評『ダ・ヴィンチWeb』|映画コラム『osanai』|連載『withnews』『BadCats Weekly』など多数|他、インタビュー記事・小説を執筆。書くことは呼吸をすること。海と珈琲と二人の息子を愛しています。